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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―薄田兼相  元流浪の豪傑

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戦国列伝―薄田兼相  元流浪の豪傑


※アイコンは左髭丈八

薄田兼相(すすきだ・かねすけ)
出身地不明(??~1615)

豊臣家に仕えた猛将。兼相流柔術や無手流剣術の開祖とされる。
前半生はほとんど不明で、1611年頃から家臣団に名前が見える。

1614年、大坂冬の陣で浪人衆を指揮したが、遊郭に通っている隙に砦を落とされ、味方から「橙武者」とあざけられた。(橙は酸味が強く食用に向かず、正月飾りにしか使えないことから、見栄えばかりの見掛け倒しという意味)
なお大野道犬(おおの・どうけん)の名で著名な大野治胤(はるたね)も同時期に大敗し水軍を失ったことから、兼相と二人合わせて橙武者と呼ばれている。
翌年、大坂夏の陣でも霧によって到着が遅れ、後藤又兵衛(ごとう・またべえ)を見殺しにしてしまい、責任を感じた兼相は自ら陣頭に立って敗軍を指揮し多くの敵将の首を挙げたが、衆寡敵せずに討ち取られた。


~豪傑・岩見重太郎~
兼相の前身は、日本各地に伝承を残す流浪の豪傑・岩見重太郎(いわみ・じゅうたろう)だとする説が広く知られている。
それによると重太郎の父は小早川隆景の剣術指南役を務めたが、広瀬軍蔵(ひろせ・ぐんぞう)によって暗殺された。
出奔した軍蔵を追い重太郎は諸国をめぐり、各地で山賊や、大蛇に巨大ヒヒといった化け物を退治する武勇伝を残し、ついに1590年、天橋立で軍蔵を討ち果たしたという。

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