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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―木下勝俊  近世歌道の始祖


※アイコンは劉劭

木下勝俊(きのした・かつとし)
尾張の人(1569~1649)

豊臣秀吉の正室ねねの兄にあたる木下家定(いえさだ)の嫡子。
縁戚の少ない秀吉からは一門衆として重用された。

1600年、関ヶ原の戦いでは東軍につき伏見城を守るも、開戦直前に城を抜け出し鳥居元忠(とりい・もとただ)らを見殺しにした。
和歌の腕に優れたため細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい)と同じく天皇の意向で脱出を命じられた、懇意だった叔母のねねが西軍を支持していたため戦闘放棄した、など諸説あるがいずれにしろ勝俊の名声は地に落ち、改易され妻からも離縁された。

1608年、父が没するとねねの働きかけで遺領を継いだが、幕府は弟の木下利房(としふさ)に継がせるよう命じており、それに背いたかどで勝俊・利房はともに改易となった。(なお利房は後に大坂の陣で武功を立て遺領を受け継いでいる)

勝俊は隠棲し、ねねの開いた高台寺の隣に堂を建てると長嘯子(ちょうしょうし)と号し歌道に専念した。
その腕はやがて「近世の歌道は長嘯子に始まる」とまでうたわれるほどになった。
伊達政宗や小堀遠州(こぼり・えんしゅう)ら大名、林羅山(はやし・らざん)や春日局ら幕府の重鎮、藤原惺窩(ふじわら・せいか)ら当代一流の文化人と交流し、後世にはかの松尾芭蕉にも少なからぬ影響を与えたという。

1649年、81歳で没しねねの眠る高台寺に葬られた。

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小金沢
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