忍者ブログ

夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―岡部元信  今川家最強の男


※アイコンは徐栄

岡部元信(おかべ・もとのぶ)
駿河の人(??~1581)

今川義元に仕えた重臣。
後に徳川家康に仕えた岡部正綱(まさつな)の弟とする記述が多いが、元信の名が世に出始めたのは正綱の生年(1542年)であり明らかに誤りである。

父は義元の家督相続に貢献した重臣で、元信も武勇に優れ多くの武功を立てた。
1560年、義元は桶狭間の戦いで討たれたが元信は鳴海城を守り抵抗を続け、手を焼いた織田信長に義元の首と引き換えに開城を申し入れた。
信長は感嘆し、首を丁重に棺に収めて譲り渡し、元信は輿に乗せた棺を先頭に粛々と城から出て行った。
だが戦功のないまま帰るのを良しとせず、通りがかった刈谷城を百名ほどの手勢で襲い、家康の叔父・水野信近(みずの・のぶちか)を討ち取った。
その後も今川家に仕えたが1568年に武田信玄によって滅ぼされると、武田家に降伏した。

高天神城を守り、長篠の戦いで大敗した武田家が凋落しても、元信の守備は盤石で幾度となく家康の侵攻をはね返した。
正攻法では勝ち目はないと、家康は城の周囲に砦や小城を築いて補給線を断ち、兵糧攻めを行った。
元信は援軍を求めたが武田勝頼(たけだ・かつより)は北条家を警戒して兵を動かさず、家康も武田家が元信らを見殺しにしたと喧伝するため降伏を許さなかった。
兵糧も底をついた元信は家臣を集めると「この城に入った時から生きて帰ろうとは思っていない。主君の恩義に報いるため打って出よう」と言い、最期の酒宴を開くと翌朝に城門を開いて突撃を仕掛けた。

元信は先頭に立って大久保軍に斬りかかってきたため、迎え撃った大久保彦左衛門(おおくぼ・ひこざえもん)はまさか総大将と思わず、家臣の本多主水(ほんだ・もんど)に相手を任せて他の敵に向かった。
元信は奮戦の末に首を取られた。享年は70過ぎと考えられる。
本多主水も相手が誰だかわからないまま討ち取り、首実検で元信とわかり主従は驚愕した。
彦左衛門は「名乗っていれば自分で討ち取っていたものを」と著書「三河物語」で悔しがっている。

元信ら城兵700名超は玉砕を遂げ、彼らが見捨てられたことで、家康の思惑通りに武田家は著しく人心を損ね、翌年に滅亡するのだった。

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

P R