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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―鮭延秀綱  鮭様の懐刀



鮭延秀綱(さけのべ・ひでつな)
出羽の人(1563?~1646)

最上家に仕えた猛将。もともとは近江佐々木家の一族で、小野寺家に仕えていたが、父の代に大宝寺家に敗れて鮭延に逃れ、姓を改めた。また幼い頃の秀綱は一時期、大宝寺家に捕らわれ小姓として仕えたという。

1581年、最上家の軍師・氏家守棟(うじいえ・もりむね)に調略され降伏すると、徐々に頭角を現した。
1600年、長谷堂城が上杉家の2万の大軍に包囲されると、志村光安(しむら・あきやす)とともに防衛し、秀綱はわずかな兵で打って出てはたびたび上杉軍を撃破し、ついに関ヶ原で西軍が敗れた影響により上杉軍が撤退するまで守り抜いた。
相対した直江兼続は「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」と感嘆し、後に敵ながら褒美まで与えたという。

1617年、最上義光(もがみ・よしあき)の孫でわずか13歳の最上義俊(よしとし)が家督を継いだことに反対し、義光の四男・山野辺義忠(やまのべ・よしただ)を擁立したため最上家は内部分裂を起こした。
この「最上騒動」により最上家は近江1万石へと改易され、秀綱も責任を問われ土井利勝(どい・としかつ)のもとに預けられた。

その後は土井家に仕えたが、与えられた知行はすべて旧臣に分け与え、自身は家臣のもとを転々としたとも伝わる。

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