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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―鬼庭綱元  秀吉と政宗に愛された男



鬼庭綱元(おにわ・つなもと)
出羽の人(1549~1640)

伊達家の家老。
1575年、隠居した父・鬼庭良直(おにわ・よしなお)から家督を譲られた。
1586年、人取橋の戦いで殿軍を務め伊達政宗を無事に撤退させたが、父の良直は戦死した。
後に父を討ち取った窪田十郎(くぼた・じゅうろう)は捕らえられたが、綱元は「無抵抗な捕虜を斬るのは士道にもとる」と解放したため、感銘を受けた窪田十郎は綱元の家臣になったという。
1590年、葛西大崎一揆が発生し、扇動者が政宗だと露見すると、綱元は豊臣秀吉のもとへ弁明に赴き、以降は折衝役を務めた。
1592年からの文禄の役では留守居役を命じられ、この際に秀吉は「鬼が庭にいるのは縁起が悪い」と茂庭(もにわ)綱元へと改名させた。

秀吉は綱元を大いに気に入り家臣にしようと考えたため、政宗から疎まれた。
1595年、政宗は「ただちに隠居すること」「隠居料として100石しか払わない」「それ以外に収入を得たら息子の所領を没収する」と無理難題を突きつけたため、激怒した綱元は伊達家を出奔した。
それを聞き徳川家康は綱元を召し抱えようとしたが、政宗が奉公構(他家への仕官を禁ずる処罰)を出したため果たせず、気の毒に思った家康は綱元に家宝や当座の資金を与えた。
しかし2年後、政宗も反省したのか綱元は伊達家への帰参がかなった。

復帰後は政宗の信頼も厚く、1600年の関ヶ原の戦いでは主力の一角を担い、政宗が上洛を命じられると留守居役を務め、さらにはかつて父が担った評定役として奉行を指揮した。
1602年には政宗が秀吉から賜った側室の香の前(こうのまえ)を下げ渡し、政宗と香の前の間に産まれた一女一男は綱元の子として育てられた。
またこの逸話には異説がいくつかあり、そもそも香の前は秀吉から綱元へ贈られており、それを政宗が略奪したため綱元が出奔した、とするものもある。

1604年からは政宗の五男・伊達宗綱(だて・むねつな)の後見役を務め、1614年の大坂冬の陣では政宗の長男・伊達秀宗(だて・ひでむね)の軍を率いた。
戦後、秀宗が伊予宇和島に10万石を与えられると綱元はそれを助け、後の宇和島藩の興隆に貢献した。

1618年、伊達宗綱が若くして没すると高野山に入り三年にわたり菩提を弔った。
1636年、政宗も没すると隠棲し、政宗と宗綱を弔うためにそれぞれ堂を建立したという。

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コメント

1. 無題

香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の重傷を負わせた犯罪企業.中卒岸下守がやった.

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