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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―松平忠直  命知らずの越前兵


※アイコンは孫桓

松平忠直(まつだいら・ただなお)
摂津の人(1595~1650)

徳川家康の次男・結城秀康(ゆうき・ひでやす)の嫡子。
父は家康に疎まれ他家へ養子に出されたが、忠直は家康の三男で叔父に当たる徳川秀忠に大いに気に入られ、秀忠は9歳の彼を名前ではなく官名の「三河守」と親しく呼びそばに置いた。
1607年、父が没すると越前75万石を継ぎ、1611年には秀忠の娘を正室に迎え「忠」の字も譲り受けた。

しかし年若い忠直では家中をまとめ切れず、重臣たちの対立を招き、武力をもって鎮圧するまでの騒動に発展した。
二度にわたり騒動が持ち上がると、幕府は忠直では荷が重いと判断し、家老の本多富正(ほんだ・とみまさ)に国政を任せ、さらに富正の一族の本多成重(なりしげ)を補佐に付けた。

1614年、大坂冬の陣に参戦するも采配ミスを家康に叱責された。
薬が効き過ぎたのか翌1615年、大坂夏の陣では「命知らずの越前兵」とうたわれるほど果敢な突撃を仕掛け、真田幸村を討ち取り大坂城へも一番槍で侵入する戦功を立てた。
だが論功行賞に不満を抱き幕府への反感を募らせると、1621年からは仮病で出仕を断り、翌年には妻の殺害未遂、さらに意に沿わない家臣に兵を差し向けて殺すなど素行不良が目立ちだした。

1623年、徳川秀忠は忠直に隠居を命じた。
母の説得もあり忠直はおとなしく出家し、豊後に流され謹慎の身となった。
はじめは海沿いの町に住んだが逃亡の恐れがあったため内陸に移され、1650年に当地で没した。

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小金沢
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