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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―本多政重  本多家の風来坊


※アイコンは李異

本多政重(ほんだ・まさしげ)
出身地不明(1580~1647)

徳川家康の軍師を務めた本多正信(まさのぶ)の次男。
出生時、正信は家康のもとを出奔していたため堺の生まれか。

1591年、12歳の時に徳川秀忠の乳母の子を口論の末に斬り殺し、徳川家を出奔した。
その後は大谷吉継を経て宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)に仕え、1600年の関ヶ原の戦いでも宇喜多軍として家康と戦った。
戦後は父の威光もあってか罪には問われず、福島正則、次いで前田利長(まえだ・としなが)に3万石の高禄で迎えられた。
しかし1603年、逃亡中の宇喜多秀家が捕縛されると、秀家の正室の弟にあたる利長をはばかって前田家を離れた。

翌年、徳川家への接近を図る直江兼続は政重を婿養子に迎えた。
直江姓を継ぎ、兼続の主君・上杉景勝から一字もらい受け直江勝吉(なおえ・かつよし)と改名した。早くも翌年に妻は没してしまうが、兼続は今度は姪の阿虎(おとら)を嫁がせた。(その際に姪の父(兼続の弟)は縁組に反対して出奔している)

だが1611年、上杉家からも離れると藤堂高虎の仲介により前田家に帰参した。
妻の阿虎をはじめ多くの上杉家の家臣が政重を慕って後追いで仕え、その後も上杉家との交流は続いた。
家老として前田家を支え多くの功を立て、1614年には自称していた安房守に実際に任官された。

前田家5代に仕え、1647年に68歳で没した。
父や兄・本多正純(まさずみ)は智謀で知られたが、政重は武勇に優れたため出奔を重ねても多くの大名に招かれ続けた。
一説には正信の密命を帯びて各地の大名のもとを回る間諜の役目を務めていたともされる。

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小金沢
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