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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―上泉信綱  剣聖



上泉信綱(こういずみ・のぶつな)
上野の人(1508?~1577?)

「剣聖」の異名を取る兵法家。諸説あるが一般に戦国時代に「剣聖」の名で呼ばれるのは彼と塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)のみである。

上野の大胡家の一族で、大胡(おおご)信綱とも名乗った。
数々の武芸を修め、陰流の始祖・愛洲移香斎(あいす・いこうさい)、またはその子の愛洲元香斎(げんこうさい)に師事し、新陰流を開いた。
また袋竹刀(竹刀に革袋をかぶせ殺傷力を抑えたもの)の考案者とされ、それまで木刀が用いられ、稽古中に致命傷を負うことも珍しくなかった剣術を安全に習えるようになり、その発展に大きく寄与した。

はじめは上野の長野家に仕えたが、1566年、長野家が武田家に滅ぼされると、武田信玄の誘いを断り弟子を連れ武者修行の旅に出た。
その際に武勇を惜しんだ信玄から一字贈られ「信綱」と改名したとの説もある。
しかし1565年に没した足利義輝(あしかが・よしてる)に兵法を披露したなど、多くの記録に1563年から旅に出たと記録され矛盾が生じており、確かな足跡はわからない。
没年も最期の地も諸説あり判然としない。

疋田景兼(ひきた・かげとも)、柳生宗厳(やぎゅう・むねしげ)、丸目長恵(まるめ・ながよし)、宝蔵院胤栄(ほうぞういん・いんえい)ら後に名だたる兵法家として知られる多くの弟子を持ち、中でも柳生宗厳は柳生新陰流、丸目長恵はタイ捨流を興し、きわめて著名であり、彼らの師として信綱の名は燦然と輝き続けている。

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