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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―石川五右衛門  天下御免の大盗賊



石川五右衛門(いしかわ・ごえもん)
出身地不明(??~1594)
 
戦国時代はもちろん日本で最も有名な大盗賊。
長く実在が疑問視されていたが、近年の研究により少なくとも同名の人物が実在したことは確実となった。

たしかな事実として伝わるのは、1594年、捕らえられた五右衛門は、一族や仲間20人とともに、京で生きたまま釜ゆでとなり処刑された、ということだけである。
以下は伝承として伝わる五右衛門の事績。

出身地は伊賀、遠江、河内、丹後と諸説あり、伊賀の抜け忍とも、大忍者・百地丹波(ももち・たんば)の弟子となり、その妻を寝とって妾を殺し出奔したとも言われる。
丹後の一色家に仕えた石川秀門(いしかわ・ひでかど)の子で、羽柴秀吉の中国征伐の折に、細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)によって父を殺され城も落とされ、以来、秀吉を付け狙ったともされる。

権力者、特に豊臣家を標的にした五右衛門は、太閤検地や刀狩り、朝鮮出兵などで苦しめられた豊臣家に不満を抱く民衆に支持された。
金のシャチホコ(大阪城、名古屋城など諸説あり)を盗もうとしたともされるが、これは別の盗賊の逸話が混在したと見られる。

秀吉の甥・豊臣秀次(とよとみ・ひでつぐ)から秀吉暗殺を依頼され、寝室に忍び込んだが、枕元の香炉に付けられた千鳥の飾りが、鳴いて危機を知らせたため、捕らえられてしまい、釜ゆでの刑で殺された。
辞世の句として「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(たとえ砂浜から砂が無くなることはあろうとも、盗人が世の中から消えることはない)」と詠んだという。

江戸時代になって五右衛門は、歌舞伎や浄瑠璃の演目として盛んに取り上げられ、その中で義賊に描かれたため人気を博した。
秀吉の天敵とされたのは(演目では秀吉の名をもじった架空の人物になっている)徳川政権下において、悪徳の権力者として描かれるには、前政権の長である秀吉が最も適当な存在だったからと見られる。

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