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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・韓浩  「韓玄? 誰それ?」魏に屯田を行わせた能臣


 
韓浩(かんこう)字は元嗣(げんし)
河内郡の人(?~?)
 
魏の臣。
若い頃、義勇軍を集めて盗賊から故郷を守った。王匡(おうきょう)のもとで董卓と対峙すると、董卓は舅の杜陽(とよう)を人質にとり投降を呼びかけたが、韓浩は応じなかった。その評判を聞いた袁術(えんじゅつ)に取り立てられ、その後、名声を聞いた夏候惇に迎えられた。

呂布に呼応した張邈(ちょうばく)の反乱で夏候惇が捕らえられると、韓浩は兵を引き連れて救出に向かった。韓浩は泣きながら「将軍を捕らえた賊徒を許すわけにはいかない。将軍、申し訳ありませんがこれは法なのです」と言った。反逆者たちは「金さえもらったら解放するつもりでした」と命乞いしたが、韓浩は彼らを皆殺しにした。
それを聞いた曹操は「韓浩の行動こそ万世の法とすべきだ」と絶賛し、今後は人質をとられてもかまわず反逆者を殺すように命じた。そのため、人質をとる者はいなくなった。

196年、政治について大議論が持ち上がったとき、韓浩は農政こそ急務だと屯田制を始めるべきだと訴えた。曹操はもっともだと考え、韓浩を列候に封じ屯田を任せた。
柳城を攻撃したとき、ともに屯田を命じられていた史渙(しかん)は、攻略は困難だと考え、作戦中止を提案しようと韓浩に持ちかけた。しかし韓浩は「公(曹操)の作戦に間違いはない。それに我々は軍の要なのだから士気を落とすようなことをしてはいけない」と逆にいさめた。はたして柳城は陥落した。

張魯(ちょうろ)を倒し漢中を攻略すると、諸将は「韓浩に漢中を任せるべきだ」と推薦した。だが曹操は「韓浩を私のそばから離せるものか」と反対し、代役に夏候淵を立てた。曹操からの信頼はそれほどまでに厚かったのである。


~演義~
『演義』での彼は、姓が同じという理由からか韓玄(かんげん)の弟とされ、黄忠を兄の仇と追い回し、あっさりと返り討ちにされている。
名将だからなんとかして『演義』にも登場させたのだろうが、あまりにもひどい扱いである。

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