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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・陳琳  曹操を激怒&感嘆させた名文家



陳琳(ちんりん)字は孔璋(こうしょう)
広陵郡洪邑の人(??~217)

~経歴~
袁紹、ついで曹操に仕えた。文章に優れ、檄文の名手として知られる。

はじめは大将軍の何進(かしん)に仕えていた。何進が宦官の一掃をもくろみ、董卓、丁原(ていげん)ら勇猛な群雄を都に呼び寄せようとすると、陳琳は「災いの種を増やすだけだ」と猛反対した。陳琳が恐れた通り、何進が宦官の逆襲にあって暗殺されると、都の実権は董卓が握ってしまった。
陳琳は袁紹に従って都を脱出し、以降はその配下となった。

200年、曹操との決戦を前に、袁紹は陳琳に曹操打倒の檄文を書かせた。曹操はもちろんのこと父や先祖のことまで、あることないことその悪行を暴き立てた檄文を読み、曹操は「ここに書かれた曹操という男に、私もはらわたが煮えくり返ったぞ」と言った。

袁紹は敗れ、陳琳も捕らえられた。誰もが陳琳は処刑されると考えた。
目の前に引き出された陳琳に、曹操は檄文を読ませた。曹操が「すばらしい名文だ。だが私はともかく父や先祖のことまで持ち出さなくてもいいじゃないか」と言うと、陳琳は「引き絞った矢は射なければならないのです」と答え、それに感心した曹操は釈放し以降、自分の発給する文書はすべて陳琳に書かせるようにした。
自分を激しく罵倒した相手だろうと才あらば用いる、いかにも曹操らしい人材登用である。

陳琳は当代一流の文学者の一人として名を馳せ、建安七子(建安年間に際立って活躍した七人の文学者)の一人に数え上げられた。
だが217年、仲間たちと同じく大流行した疫病で命を落とした。

文学史上で建安七子と同等の名声を馳せた曹丕は彼を「文章は雄健だが、やや繁雑である」と評している。

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