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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・鍾会  野心に身を焼かれた知将



鍾会(しょうかい)字は士季(しき)
穎川郡長社県の人(225~264)

~経歴~
魏の将。鍾繇(しょうよう)の末子。
教育熱心な母のもと、幼いころから才能に秀で、蒋済(しょうさい)には5歳のときに並外れた逸材と評価された。
父の威光もあり20代で重職につき、諸葛誕(しょかつたん)らの反乱の際には軍師としておおいに活躍した。政務にも優れ、法の制定や賞罰にも深くかかわった。
人物眼に優れ多くの者を抜擢する一方で、野心にあふれ讒言で何人もの命を奪い、人々から羨望と警戒の眼差しを受けた。
鄧艾(とうがい)とともに蜀の攻略を命じられると、姜維の抵抗にあい苦戦。あせりからか許褚の子・許儀(きょぎ)を些細な落ち度で殺したり、同僚の諸葛緒(しょかつしょ)の兵を讒言で奪ったりと横暴をきわめたが、鄧艾は迂回作戦で成都に迫り、蜀を滅亡させた。
鄧艾の活躍にあせりの色を濃くした鍾会は、得意の筆跡まねで鄧艾や司馬昭(しばしょう)の書状を書きかえ、鄧艾が謀反をたくらんでいると偽り、おとしいれた。そして姜維にそそのかされクーデターを決意、鄧艾を捕らえたがツキはそこまで。将兵の反逆によりあえなく殺された。ときに40歳。

蜀侵攻の前に邵悌(しょうてい)は「鍾会に多くの兵を与えるのは危険です」と司馬昭をいさめたが、「蜀を攻略できると考えているのは鍾会しかいないのだから、鍾会に任せるのが一番だ。もし彼が反逆したとしても、敗れた蜀の兵は従わないし、ましてや遠征で疲れた部下が従うわけもない」とその末路を見事に予見していた。
また人物鑑定で知られる裴楷(はいかい)は「鍾会に会うと武器庫を見ているようだ。矛や戟ばかりが並んでいる」とその野心の深さを見抜いている。

まったくの余談だが、鍾会は遠征に甥や一族の者しかつれておらず、また母親の伝記を自ら書き残すほどのマザコンぶりから、生涯独身をつらぬいたと言われている。

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小金沢
性別:
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