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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・鄧艾  蜀に引導を渡した文武両道の名将



鄧艾(とうがい)字は士載(したい)
義陽郡棘陽の人(197?~264)

~経歴~
魏の将。
最初は鄧範(とうはん)字は士則(しそく)と名乗っていたが、一族に同名の者があり改名した。

仕官したがひどい吃音のため軽く見られ、非常に苦労をしたが司馬懿に見出され、農政を任されると『済河論』という論文で運河の重要性を説き、水害を防ぎ兵糧を蓄えることに成功した。若いころから地図を描くことを趣味にしており、管轄地域の詳細な地図を作り活用した。
軍事にも才能を表し、諸葛誕(しょかつたん)や文欽(ぶんきん)の反乱、呉や蜀の侵攻の際にはおおいに活躍した。
鍾会(しょうかい)とともに蜀の攻略を命じられたが、剣閣で姜維の激しい抵抗にあい苦戦。剣閣を迂回する作戦を取り、諸葛瞻(しょかつせん 孔明の子)を討ち取り成都に迫り、ついに劉禅(りゅうぜん 劉備の子、二代皇帝)を降伏させた。
鄧艾は略奪を働かず、降伏した者を元通りの職に据え置いたため、蜀の人々から歓迎された。だが独断で部下や蜀の旧臣に官位を与えたり、戦勝の記念碑を建てたりとおごった態度が見られたため、鍾会らに恨まれた。
鍾会はついに鄧艾を反逆者として捕らえ護送車に乗せた。邪魔者を消し、姜維にそそのかされた鍾会はクーデターを起こしたが、すぐに鎮圧された。
鄧艾はすぐに釈放されたが、彼を捕らえた衛瓘(えいかん)は報復を恐れ、鄧艾を部下ともども殺してしまった。
鄧艾の子も処刑され、妻と孫も反逆者の汚名を着せられ流罪となったが、司馬炎(しばえん)の時代に段灼(だんしゃく)が冤罪を強く訴えたため、流罪を解かれ孫も取り立てられた。

余談だが鄧艾は下士官から将軍にまで上りつめたため、蜀を滅ぼした将軍ながら民衆の人気が高く、吃音の人を励ますたとえとして、よく引き合いに出される。

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