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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・郝昭  その剛直さ、まさに鉄壁



郝昭(かくしょう)字は伯道(はくどう)
太原郡の人(?~?)

~経歴~
魏の将軍。
勇壮な人となりで、金城の太守・蘇則(そそく)のもとで多くの手柄を立てた。
228年、曹真(そうしん)は諸葛孔明は陳倉(ちんそう)を攻めると読み、郝昭に防衛を命じた。
はたして冬に孔明は大軍を率いて現れた。だが荒れ果てていたはずの陳倉はすっかり防備が整い、名高い名将の郝昭が守っていると聞き、孔明は驚いた。
孔明は郝昭と同郷の靳詳(きんしょう)を降伏の使者として向かわせた。だが郝昭は「魏の法律も、私の人柄もあなたはよく知っているだろう。私は国に受けた恩に報いるため、死を覚悟するだけだ。帰って諸葛亮に攻撃をしろと伝えてくれ」と答えた。
孔明はもう一度、靳詳に説得させたが、郝昭は「以前に言ったとおりだ。私はあなたを知っているが、矢はあなたを知らないぞ」と弓を構えて脅したため、靳詳は逃げ帰った。
蜀軍は数万をかぞえ、陳倉を守る魏軍は千人あまりだった。孔明は力攻めを命じたが、雲梯(うんてい ハシゴ車)は火矢で焼かれ、衝車(しょうしゃ 城門を壊すための戦車)には石ウスを落とされ、城壁を乗り越えようとすれば二重の城壁を築かれ、地下道を掘れば城内からも地下道を掘り返されと、二十日が過ぎても陳倉はいっこうに落ちなかった。
万策尽きた孔明は、やがて魏の援軍が到着すると退却していった。寡勢で大軍を撃退した郝昭は激賞された。

河西地域を治めること十数年、郝昭の威名はとどろき、民衆も蛮族もよく従った。
都に召しだされると、皇帝の曹叡(そうえい)はたいへん喜び、郝昭の同郷の孫資(そんし)に「お前の郷里にはこんな快男児がおり、将軍として輝いている。朕はなにを心配することがあるだろうか」と絶賛した。
皇帝は郝昭を大役に抜擢しようとしたが、間もなく郝昭は病死した。

郝昭は死に臨み、息子にこう言い遺した。
「私は将軍になり、将軍になどなるものではないと知った。戦争のたびに塚を暴いて木材を調達したから、手厚い埋葬などなんの意味もないことも知っている。
人間は生きていてこそ居場所があるのだ。ここは先祖の墓から遠く離れた地だが、死んだあとは場所など関係ない。私が死んだら、そのときに着ていた服のままで、お前の好きなところに埋めるがいい」

郝昭が亡くなると、魏は陳倉を放棄した。重要拠点とはいえ、蜀の大軍相手にこんな小城を守れる名将は郝昭しかいなかったのである。

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