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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―魏・辛敞  姉さん、事件です

辛敞(しんしょう)字は泰雍(たいよう)
涼州隴西郡の人(??~??)

魏の臣。
辛毗(しんぴ)の子。

曹叡の代に劉放(りゅうほう)・孫資(そんし)が権勢を振るい、誰もが交際を求めたが辛毗は一切それに加わらなかった。
それを子の辛敞は憂い「劉放・孫資が権力を握り、人々は影のようにくっついています。父上は少し心を抑えられ、妥協なさらないと悪口を言われます」と批判した。
すると辛毗は「劉放・孫資と上手く行かなくても、せいぜい三公になれないだけだ。三公になりたいために節義を失う者がどこにいる」と叱りつけた。
この言葉が耳に入ったのだろう、後に王思(おうし)の後任に辛毗が推された時、劉放・孫資は「辛毗は誠実だが強情で妥協しません」と反対し、起用されなかった。

父が没すると後を継いだ。
249年、権力を握る曹爽(そうそう)が曹芳を連れて都を空けた隙に、司馬懿が決起し、都の城門を閉じた。魯芝(ろし)は兵を率いて城門を突破しようと考え、大将軍(曹爽)参軍の辛敞を誘った。
辛敞は判断に迷い、姉の辛憲英(しんけんえい)に「人々は司馬懿が国家に不利益をもたらそうとしていると噂しています。彼の行いは正しいのでしょうか」と相談した。
辛憲英は「司馬懿はそうせざるを得なかったのです。先帝(曹叡)が臨終の際に司馬懿と曹爽に後事を託したことはみな覚えています。しかし曹爽は権力を独り占めし、主君に不忠で、人道に背いています。曹爽は司馬懿の相手にもなりません。処刑されるでしょう」と言った。
辛敞がならば城を出ないほうがいいのかと聞くと、辛憲英は「職務は人の大義です。あなたは曹爽の臣下なのだから、主君のために死ぬのが務めです」と言い、かくして辛敞は魯芝とともに城門を突破し、曹爽のもとへ駆けつけた。
曹爽一派は処刑されたが、辛敞と魯芝は赦免された。事が落ち着くと辛敞は「姉に相談しなければ、危うく道義に外れ身を滅ぼすところだった」と嘆息した。

辛敞は咸熙年間(264~265)に河内太守を務め、官位は衛尉にまで上った。(『辛毗伝』)

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