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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・蘇則  剛直かつ不器用



蘇則(そそく)字は文師(ぶんし)
扶風郡武功県の人(??~223)

魏の臣。名家の生まれで若い頃から学問と品行で知られ、剛直で正義感が強かった。
たびたび招聘されたが応じず、董卓の支配下で困窮した際に富豪の師亮(しりょう)を頼ったが冷遇されると「天下が安定したらここに帰り俗物をくじいてやる」と宣告し、吉茂(きつぼう)らとともに山中に隠遁し勉学に励んだ。

やがて平民の身から太守へと出世した。かつて彼を冷遇した師亮は報復を恐れて逃亡したが、蘇則はかえって謝礼を与えた。
曹操が漢中の征伐に乗り出し、蘇則の任地を通った際、引見した彼を気に入り先導を命じた。
漢中を制圧すると蘇則は荒れ果てた金城郡の統治を任され、一年足らずで復興させた。

その後、麹演(きくえん)が各地の反抗勢力と連動し大規模な反乱を起こした。
異民族もそれに呼応し、孤立した毌丘興(かんきゅうこう)は金城の蘇則に救援を求めた。
金城には郝昭(かくしょう)や魏平(ぎへい)も駐屯していたが、兵力は足りず進路も遮断されていた。
郝昭らは援軍の到来を待とうとしたが、蘇則は「反乱軍は今でこそ意気盛んだが、隙を突けばやむなく協力していた善人は我々に寝返る。援軍を待っていればその間に善人と悪人が結びつき、容易に切り離せなくなる」と電撃戦を主張した。
郝昭らもそれに賛同し、彼らは詔勅を待たずに出撃し、まず包囲を破り毌丘興と合流した。
読み通り、異民族が降伏を申し出て形勢が逆転すると、麹演は蘇則の暗殺を企み降伏を申し出た。しかし蘇則はそれを見破り、会見の席で麹演を斬り、反乱を平定した。

曹丕が献帝(けんてい)を廃し帝位につくと、蘇則は献帝が殺されたと誤解し喪に服すと号泣した。
やがて都に召されると曹丕は、蘇則と同様に献帝の廃位に際し号泣した弟の曹植(そうしょく)を念頭に「私の即位に際し泣いた者がいるそうだが、なぜ泣いたのだと思う」と質問した。蘇則はこの時も自分のことだと誤解し弁明しようとしたが、傅巽(ふそん)が目配せして制したため、曹丕の逆鱗に触れずに済んだ。

ある時、曹丕は蘇則に西域の異民族と交易を再開すべきか諮問した。蘇則は「陛下の威光が届けば自然とやってくるもので、こちらから求めるべきではない」と答えた。
またある時、曹丕が狩りで捕えた鹿を、配下が誤って逃してしまうことがあった。曹丕は激怒して彼らを殺そうとしたが、蘇則はそれを命がけで制した。曹丕は怒りを収めたが、それらのことから蘇則を疎んじるようになったという。
そして223年、左遷されて任地へ向かう途中に病没した。

陳寿はその剛直さを称賛しつつも「すでに魏で禄を得ているのに、献帝の死に怒りを表すのは浮ついた態度だ」と厳しく指摘している。
「演義」には登場しない。

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