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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・羊祜  仁愛の名将



羊祜(ようこ)字は叔子(しゅくし)
出身地不明(221~278)

~経歴~
魏の将。呉に対する最高司令官。蔡文姫(さいぶんき)の甥。
姉が司馬師(しばし)の後妻となり、夏侯威(かこうい 夏侯淵の子)に見込まれ、その姪をめとるなど司馬氏・夏侯氏と縁深く、自身も優れた資質を持っていたため重用された。

曹爽(そうそう)が権勢をふるっていたとき、王沈(おうちん)に仕官を勧められたが固辞した。のちに曹爽は司馬懿のクーデターにより粛清されたため、王沈は羊祜の先見の明をたたえた。
才能を妬まれなかなか出世できなかったが、鍾会(しょうかい)が謀反に失敗し殺されると、ようやく抜擢された。
司馬昭(しばしょう)によって呉に対する最高司令官に任じられると、広く善政をしき、土地を開墾して蓄えを増やし、捕虜にも丁寧に接したため、敵味方を問わず慕われた。国力を上げて防備を固め、謀略を用いて好戦的な呉の太守を罷免させるなど、戦わずして勝つことを好んだ。
呉の名将・陸抗(りくこう 陸遜の子)とは任地が隣同士だったが、たがいに侵攻しないことを暗黙の了解としていた。
過労のため病気しがちであった陸抗に、羊祜は薬を贈った。左右のものは毒が入っていると危ぶんだが、陸抗は疑わずに飲んだ。
陸抗は返礼に酒を贈り、羊祜もそれを喜んで飲んだ。敵同士でありながら二人の親交は堅く、友誼の厚いことを示す「陸羊之交」という四字熟語が生まれた。

晋の初代皇帝・司馬炎(しばえん)の即位にも大きく関わったが、権力を争うことなく、慎み深くふるまった。
長く専守防衛に努めていたが、陸抗が病死すると、今こそ呉討伐の好機と、王濬(おうしゅん)に命じて船団を整えさせ、攻撃の許可を中央に求めた。しかし認められず「人生とはままならぬものだ。今をおいていつ戦えというのだ」と嘆いた。
278年、後任に杜預(どよ)を指名し病没した。配下だけではなく任地の民や呉の将兵までもが、その死を惜しみ慟哭した。
2年後、羊祜の遺志を継いだ王濬と杜預は呉を滅亡させた。
羊祜は俸禄を全て部下たちに分け与えていたため、財産を持たなかった。遺言により質素な先祖の墓に葬られていたが、司馬炎は都の陵墓に羊祜のための墓所を設け、大葬列で送り出したという。

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