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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―魏・程喜  讒言名人

程喜(ていき)字は申伯(しんはく)
出身地不明(??~??)

魏の臣。

印鑑職人の宗養(そうよう)に師事し、印相(印鑑の吉凶)鑑定術を伝授され、そこから十二家の鑑定法が生まれたという。(『夏侯尚伝』)

232年、軍才に優れた田豫(でんよ)が汝南太守のまま青州都督になり、青州刺史の程喜は下位でしかも他州の太守に軍権を奪われ不快に思った。
そこで田豫が戦利品の兵器や真珠を献上していないと讒言し、皇帝の曹叡(そうえい)は真珠を愛好していたため、田豫は武功を認められず昇進も止められた。(『田豫伝』)

隠者の管寧(かんねい)は誰からの招聘にも応じず、父・祖父と三代に渡って固辞された曹叡は業を煮やし「管寧は本当に高潔で、老いと病で出仕できないのか」と程喜に問うた。
程喜は「私は管寧の隣家に住む親族の管貢(かんこう)をたびたび訪ね様子を聞いています。管寧は年老い知恵も衰えたため、慎み深くなっており、高潔さを貫こうとしているわけではないでしょう」と弁護した。(『管寧伝』)

248年頃、征北将軍に任じられた。
同時期に幽州刺史として赴任した杜恕(とじょ)に、友人の袁侃(えんかん)は、程喜がかつて敵対した田豫を讒言で陥れたことから、交友を結ぶよう忠告したが、杜恕は気にもとめなかった。
249年、鮮卑からの使者が関所を通らなかったため、杜恕は独断で使者の子供を斬って処罰し、朝廷へ報告しなかった。
程喜はすかさず配下の宋権(そうけん)を送り、見逃す代わりに謝罪するよう持ちかけたが、杜恕は断ったため、程喜に弾劾された。
杜恕は危うく処刑されるところだったが、父の功績により死罪は免れ、幽州刺史を罷免のうえ配流となり平民に落とされた。(『杜畿伝』)

程喜の生没年は不明だが、三国屈指の占術師として知られる朱建平(しゅけんぺい)が寿命を占った人物の中で、程喜は的中しなかった珍しい例として挙げられている。(『朱建平伝』)

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