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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・王濬  三国志に終止符を打った男



王濬(おうしゅん)字は士治(しち)
弘農郡湖県の人(206~285)

~経歴~
魏・晋に仕えた将軍。呉を滅ぼし三国時代に終止符を打った。

名家の出で文武両道に通じ、容貌も優れていたが、名声を求めなかったためなかなか評価されなかった。
呉方面の司令官を務める羊祜(ようこ)に見出された頃には、すでに初老に差し掛かっていたと思われる。
益州刺史の皇甫晏(こうほあん)が反乱によって殺されると、後任となった王濬は速やかに乱を鎮圧し、善政を布いたため民にも異民族にも慕われた。
宮廷に召し出されて出世を遂げたが、王濬の軍才を知る羊祜は上表して王濬を益州刺史に戻し、ともに呉攻略の策を練った。

呉の名将・陸抗(りくこう)が亡くなると羊祜は満を持して呉の攻略を進言するも、中央からの許可が得られなかった。羊祜は「今をおいていつ呉を攻めるのか」と激怒したが、やがて病を得て杜預(どよ)を後任に指名して亡くなった。

279年、ついに詔勅がくだされ、王濬、杜預らは大軍を催して長江を下り呉を攻めた。
先手を務めていた王渾(おうこん)は呉の丞相・張悌(ちょうてい)を討ち取り、手柄を独占するため王濬に進軍を停止するよう命じた。
だが王濬は船の帆を指し「追い風だから止まることはできない」と命令を無視し、呉の首都・建業に迫り、呉の皇帝・孫皓(そんこう)はたまらず降伏した。
王渾は命令違反を唱えたが、呉攻略の大功に免じて王濬は罪を許された。しかし二人の間には長く遺恨が残ったという。

285年、王濬は80歳で生涯を閉じた。
王濬の葬られた山の周囲には延々と垣根が張りめぐらされ、四方に門を備えた立派な墓所となった。
長く雌伏の時を強いられたが、最後の最後に呉討伐の立役者という大輪の花が開いたのだった。

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