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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・王淩  賛否両論の男



王淩(おうりょう)字は彦雲(げんうん)
并州太原郡祁県の人(172~251)

192年、叔父の王允(おういん)が董卓残党の李傕(りかく)に殺されると、兄とともに城壁を乗り越えて郷里へ逃亡した。
後に李傕を討ち都を制圧した曹操に仕えた。

228年、石亭の戦いで曹休(そうきゅう)が、呉の周魴(しゅうほう)の偽装投降に騙されると、王淩もそれを支持した。
曹休は伏兵によってさんざんに叩かれたが、王淩の奮戦により包囲を破り逃げ延びることができた。

統治能力に優れた王淩は各地の州刺史を歴任し、善政を布いた。
青州を治めた時には無名で年若い王基(おうき)の意見を全面的に取り入れ、特に讃えられた。
だが宿将の満寵(まんちょう)とは不仲でたびたび対立した。
呉の孫布(そんふ)が投降を申し出た時、満寵は偽装だと見抜いたが、王淩はこれを信じた。強硬に反対する彼に業を煮やした王淩は「満寵は耄碌し飲んだくれて職務を放棄している」と讒言した。
満寵は都に召還され、その隙に王淩は出兵したが孫布の投降は偽装で、惨敗を喫した。
皇帝の曹叡(そうえい)は満寵を招くと大量に酒を飲ませたが、全く酔わず意見に不審な点もなかったため、元通りの地位に戻してやったという。

それでも王淩の軍才はやはり優れており、241年には呉の全琮(ぜんそう)を撃退し地位は車騎将軍に上り、次いで文官の最高位の三公を歴任した。
だが249年、皇帝の曹芳(そうほう)が幼く、司馬懿が実権を握っているのに不満を抱き、甥の令狐愚(れいこぐ)とともに司馬懿を暗殺し、曹彪(そうひょう)を擁立する計画を立てた。
長子の王広(おうこう)はこれに反対したが王淩は取り合わず、令狐愚が没しても一人で計画を進めた。

251年、謀議は司馬懿の知るところとなり王淩は捕らえられた。
都へ護送中、魏の重臣で旧知の賈逵(かき)の霊廟の前を通りかかると「賈逵殿、私はもとより魏に忠実な男です。あなたが神になっているならそれをご存知でしょう」と叫んだという。
都へ到着する直前、王淩は服毒自殺した。享年80。
謀叛を諌めた王広も許されず、三族皆殺しとなった。

唯一、郭淮に嫁いでいた王淩の妹だけは許された。
彼女も捕らえられ、郭淮も処刑を覚悟したものの、5人の息子が母が死ねば後を追おうと訴えたため、郭淮は司馬懿に「息子が死ねば私も死にます」と助命嘆願したという。

王淩は忠臣かそれとも逆臣か、有能かそれとも無能か、評価は二分されている。

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