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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・王基  魏後期の完璧超人



王基(おうき)字は伯輿(はくよ)
青州東莱郡曲城県の人(190~261)

魏の将。若くして孤児となり、叔父に育てられ孝行の心を讃えられた。
17歳で早くも郡に召し出されたが、水が合わず辞去し学問に励んだ。30代で孝廉へ推挙されると、王凌(おうりょう)に見出されその補佐を務めた。王凌は善政を布き名声を博したが、それは王基の助言によるところも大きかった。
やがて司馬懿に招聘され都に上がると、皇帝にも臆せず諫言し、また儒学者と論争することもあった。
曹爽(そうそう)にも見込まれ呉との国境近くの太守に任命されると軍才も表し、諸葛誕を助け呉の侵攻をよく防いだ。
だが曹爽が司馬懿の反乱により処刑されると、かつて曹爽に推挙された王基も巻き添えを受け昇進が遅れたが、曹爽の専横を批判してもいたため、後に荊州刺史に就任した。

250年、王昶(おうちょう)に従い呉の夷陵を攻撃した。対する歩協(ほきょう)は籠城したが、王基は別働隊を率いて兵糧庫を襲撃し、兵糧を奪うとともに多数の捕虜を得た。さらに長江の守備を固め、付近の治績も上げたためますます名声を高めた。
朝廷は呉の征伐を目論み王基に具申したが、王基が情勢を分析し時期尚早と判断すると、それを取りやめた。また司馬懿が没し跡を継いだ司馬師は、政治の心得を教わるなど王基を厚く信頼した。

255年、毌丘倹(かんきゅうけん)と文欽(ぶんきん)が反乱を起こすと、王基は全軍の統率を任された。
まず諸将の反対を押し切って、兵糧を豊富に蓄えた郡を急襲し機先を制すると、反乱軍が二手に分かれた隙をつき、たやすく毌丘倹を撃破した。
この戦功で侯の爵位を得たが、王基は育ての親である叔父の子にそれを譲った。

257年、諸葛誕が反乱した時も討伐軍を率いた。諸葛誕の籠もる寿春を包囲するも、呉の援軍が迫ると諸将や司馬昭は撤退を支持した。だが王基はひとり包囲の継続を唱え、司馬昭を説き伏せた。
王基の読みは正しく、呉の援軍は孫綝(そんちん)の失策で士気を落として撤退し、寿春も陥落した。司馬昭は勢いをかって呉への遠征を企てたが王基の反対にあい断念した。
戦後、またも王基は褒賞を断ったため部下が重く取り立てられた。

このように生前、王基は授爵を断り続けたため、朝廷は代わりに王基の亡き両親に太守を追贈したり、厚く弔ったりした。王基が侯に封ぜられたのは死後のことだった。
数多くの軍功を残した王基だが、陳寿はその学識と品行を大きく讃えている。

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