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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―魏・楽詳  杜畿に恩返しした大学者

楽詳(がくしょう)字は文載(ぶんさい)
司隸河東郡の人(??~??)

魏の臣。

若い頃から学問を好んだ。
196年頃、謝該(しゃがい)が「春秋左氏伝」に詳しいと聞き、南陽郡から許都まで徒歩で質問に出向いた。そして著した「左氏楽氏問七十二事」は(唐代にも)現存する。

河東太守の杜畿(とき)は非常に学問好きだったため、楽詳を招いて文学祭酒に任じ、若者を教育させた。当地では学問が盛んになり、多くの儒者が集まった。(『杜畿伝』)
弘農太守の令狐邵(れいこしょう)は、郡内に経書を理解する者がいなかったため、希望者を募り楽詳のもとで学ばせた。(『倉慈伝』)

黄初年間(220~226)に都に上り博士となった。太学が設立された頃、十余人いた博士はいずれも専門分野の理解すら怪しく、教鞭を執れなかったが、楽詳だけは五経の全てを教えられた。
学生に質問し答えられなくても腹を立てず、杖で地面に図示したり、たとえ話をしたりと寝食を忘れわかりやすく教えたため、名声は高まった。
そのうえ天文にも詳しく、音律や暦の制定にも関わった。

太和年間(227~232)に騎都尉に転任したが、実務能力が無いため、郡太守として赴任することはなかった。
正始年間(240~249)に引退し郷里に戻ると、一族は彼を頼って集まり、門弟は数千人もいた。

249年、かつて仕えた杜畿の子の杜恕(とじょ)は失脚し、配流先で没した。
257年、90余歳の楽詳は、杜畿の業績を改めて採り上げるよう上書し、杜恕の子の杜預(どよ)が取り立てられた。(『杜畿伝』)

「魏略」では楽詳を儒学の宗家7人の一人に挙げている。(『王朗伝』)

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