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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・楊沛  罪人官吏



楊沛(ようはい)字は孔渠(こうきょ)
馮翊郡万年の人(??~??)

県長を務めた時、飢饉の対策として干した桑の実を備蓄するよう義務付け、さらに野生の豆を採取し、余裕のある者には貧しい者へ分け与えるよう命じた。
そして曹操が献帝(けんてい)の奪回のため軍を催した際、楊沛が蓄えた桑の実を献上し兵糧の欠乏を救ったため大いに喜ばれた。

楊沛は県令に昇進し、さらに曹洪(そうこう)の賓客が納税に応じないことを知ると、その者の脚を叩き折り、それでも応じないとついに処刑してしまった。曹一族であろうと厳正に処罰したことを曹操は評価し、各地の太守を歴任させた。
だがその後、楊沛は上官と私闘を起こした罪により5年の髠刑(強制的に髪を切られる刑)に処された。折しも曹操は鄴の治安が悪いことを聞き県令を改めようとしたが、厳格さと有能さを併せ持つ楊沛こそ適任だと考え、まだ刑期を終えていないにもかかわらず服役中の彼を県令に抜擢した。

曹操にどうやって治めるつもりかと尋ねられると楊沛は「身も心も尽くし果たし、ご命令を奉じて法律を施行します」と答えた。
曹操は満足すると周囲の者へ「諸君、こやつは恐ろしいぞ」と言った。身を持って恐ろしさを知る曹洪らはあわてて家中の者へ伝令を飛ばし、自分を戒めるよう命じたという。

211年、馬超が反乱すると曹操は討伐軍を率い、楊沛もそれに従い孟津の渡河を取り仕切った。
中黄門の地位にある人が忘れ物をして引き返すと、役人に小舟を要求し強引に河を渡ろうとした。役人が承知せず口論が始まると楊沛が仲裁に入った。楊沛は許可がないことを知ると「逃亡する可能性もあるではないか」と怒り、黄門を殴らせようとした。
黄門は衣服を引き裂かれながらも必死に逃げ出し曹操へ苦情を訴えたが、曹操は「死ななかっただけ幸いだ」と返しむしろ楊沛を評価した。

曹操が没すると儒学を修めた教養高い者ばかりが昇進し、実務能力でのし上がった楊沛のような者は仕事を失い街をぶらつく毎日となった。
県令や太守を歴任したが私腹を肥やさず、他人に追従することもなかったので引退した時に蓄えはなかった。
外から下僕を借りるだけで他に従者を持たず、荒廃した田畑を買うと牛舎で寝起きしたため妻子は飢えと寒さに苦しんだ。やがて病没した際も郷里の友人や領民たちに弔われただけだという。

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