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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・楊修  ヨウトン教授と破滅のカンペ



楊修(ようしゅう)字は徳祖(とくそ)
司隷弘農郡華陰県の人(??~219)

~経歴~
魏の臣で曹植(そうしょく)の腹心。「楊脩」とも書かれる。(読みは同じ)

後漢末に太尉を務めた楊彪(ようひょう)を父に、袁術(えんじゅつ)の妹を母に持つ名家に生まれる。
博識で謙虚に務めたため、若くして声望高かった。丞相に任じられたばかりの曹操に見込まれ、激務をよくこなしたためさらに名声は高まり、曹丕らと親交を結び、曹植とは特に親しく付き合い、その腹心となった。

219年、劉備が蜀を制し、曹操が攻略したばかりの漢中に攻め上がった。
両軍ともに譲らず戦線が膠着すると、曹操は「鶏肋(けいろく 鶏のあばら骨)」とつぶやいた。
誰にも意味がわからなかったが、楊修は「鶏肋は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほど肉が付いていない。漢中は鶏肋のようなもので、むざむざ失うには惜しいが、必死に守るほどの価値はない。そろそろ引き際ということだ」と読み解き、手勢に撤退の準備を進めさせた。
はたして間もなく魏軍は漢中から撤退したという。

同年秋、楊修は処刑された。
曹操が曹植に対しするだろう質問をあらかじめ予測し、「答教」というカンペを作ったことを咎められたとされるが、詳しい理由は不明である。
他にも、曹丕を後継者と定めたのち、頭の切れる楊修を曹植の手元に置いておくことを恐れた。
楊修の「袁術の甥」という血縁を危ぶんだ、など諸説ある。

私見だが当時は金禕(きんい)や魏諷(ぎふう)らによる名門の子弟を巻き込んだ反乱が相次いでおり、また袁術の娘の一人は孫権に嫁し、しかも正室に等しい立場にあった。
曹植もまた「詩聖」と呼ばれるほど多くの人々に支持されていて、もし楊修が曹植とともに謀反を企めば魏諷をも上回るほどの内乱が起こり得ただろうし、さらに呉をも巻き込みかねないことを危ぶんだ、というのが真相ではなかろうか。
楊修は曹植の腹心であるために危険が迫っていると自覚していたが、構わず曹植と付き合い続けたと言われ、二人の間には君臣の間柄以上の友情があったと見られる。それゆえに曹植との結びつきの堅さを警戒されもしただろう。
また曹丕は生前の楊修にもらった剣を見るたびに、楊修の自分に対する冷淡な態度を思い出したといい、楊修に野心があったこともうかがえ、処刑の裏には曹丕の意向もあったのではないか。

ちなみに「演義」では漢中の戦いの折、「鶏肋」の謎解きをして勝手に撤退の準備を進めたことを咎められて処刑される、といううまい逸話の融合が見られる。
その際には楊修が過去に行った謎解きがいくつも紹介され、名探偵さながらに描かれている。

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