忍者ブログ

夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・梁習  并州の守護神



梁習(りょうしゅう)字は子虞(しぐ)
陳郡柘県の人(??~230)

魏の臣。各地の県令を務め、やがて中央に上った。
王思(おうし)が諫言を咎められ死罪を命じられようとした時、たまたま彼は不在で梁習が代わりに逮捕された。
王思があわてて名乗り出ると、二人の潔さに感心した曹操は「我が軍に二人も義士がいるとは思わなかった」と言い、罪には問わずかえって重用するようになり、ついには揃って刺史へと昇進した。

梁習が刺史に任じられた并州はまだ袁紹時代の影響下にあり反乱が相次ぎ、匈奴もたびたび侵攻していた。
梁習は徴兵を口実に諸勢力から兵力を奪っては中央へ強制移住させ、従わない者は武力で鎮圧し、徐々に平定していった。
匈奴も恐れて従うようになり、王凌(おうりょう)や常林(じょうりん)らを抜擢した。

213年、并州と冀州が合併すると西部都督に任じられ、鮮卑や烏桓族と戦った。
ある時、鮮卑の大人(長)育延(いくえん)が梁習へ交易を申し出た。
人々は断れば粗暴な育延の恨みを買い、許可すれば略奪されるのではと恐れたが、梁習はすぐに請け合い、自ら交易の場に出向いた。
ところがそこである役人が育延の部下を逮捕したため、育延らは色をなして弓矢を構え梁習を包囲した。
梁習はあわてる素振りもなく役人を呼び出すと逮捕の理由を尋ねた。その育延の部下が人を殺していたためだと説明されると、梁習は「罪を犯したから逮捕しただけなのに、なぜ汝らは騒動を起こすのか」と激怒し育延をその場で斬首させた。
梁習の堂々たる裁きを恐れ、鮮卑の侵攻はそれきり収まった。

215年、漢中を攻略した曹操は都へ引き上げるにあたり、烏桓王の魯昔(ろせき)を備えに置いた。
しかし魯昔は残してきた妻を恋しがり、また任地から二度と帰れないのではと悩み、とうとう部下500騎をつれて脱走した。
人々は馬術と弓術に長じた魯昔らを捕らえることはできないと考えたが、梁習は同じく馬と弓に長じ土地勘もある鮮卑族に逮捕を命じる奇策を出した。
魯昔は部下から離れ妻を迎えに行ったため単身でおり、しかも妻と相乗りした馬は動きが鈍く、鮮卑族の追っ手に簡単に射殺された。
曹操ははじめ魯昔の脱走を聞き、これを機に北方で大乱が起こると危惧していたが、梁習がすぐに解決したと知り賞賛した。

曹丕の代に再び州が分割されると、またも并州刺史に任じられ多くの治績を上げた。
228年、中央に戻ると長く高位にいたにも関わらず私腹を肥やさなかったため貧窮していたので、曹叡(そうえい)は多くの褒美を与え労をねぎらった。230年に没した。

「演義」には登場しない。

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

P R