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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・桓階  機を見るに敏



桓階(かんかい)字は伯諸(はくしょ)
長沙郡臨湘県の人(??~??)

~経歴~
魏の文官。

祖父の代から代々、郷里の長沙で名声があった。
長沙太守となった孫堅に仕えるが、父が亡くなり職を辞して喪に服した。
だがすぐに孫堅が劉表(りゅうひょう)との戦いで戦死すると、危険を犯して劉表のもとに赴き、遺体をもらい受けようとした。劉表も桓階を「義人である」と評し、遺体を譲り渡した。

その後は後任の長沙太守である張羨(ちょうせん)に仕えた。
200年、官渡の戦いに際し、劉表が袁紹に味方すると、桓階はその非と不利を唱え、張羨には曹操に味方するよう進言した。張羨も同意し、荊州南部の郡とともに反乱を起こした。
だが袁紹と曹操の戦いは長引き、孤立した末に張羨は病を得て亡くなり、反乱は鎮圧された。
劉表は官位と妻の妹を与えようと桓階を招いたが、桓階は病と称して隠棲した。

やがて荊州が曹操の手に落ちると、先の反乱煽動を評価され、曹操に召し出された。
曹丕と曹植(そうしょく)の間で後継者争いが持ち上がり、曹植派の丁儀(ていぎ)が曹丕派の毛玠(もうかい)、徐奕(じょえき)を讒言すると、桓階はそれをかばって弁護したため、毛玠らは罪に問われなかった。
桓階はこのように公平で人を見る目に優れていることを見込まれ、尚書として官吏の登用に当たった。
その眼力は軍事にも発揮される。荊州の関羽が北上し、曹仁が窮地に陥ったとき、曹操は徐晃と張遼を援軍に向かわせ、さらに呉軍を背後に回した。
だが一時は遷都を考えたほど、関羽の恐ろしさを知る曹操はそれでも十分ではないと、自ら援軍に赴こうとした。
だが桓階は、曹仁や徐晃を信じているならば動くべきではないと反対し、曹操も考え直して増援を後方に駐屯させるに留めた。
はたして徐晃らは関羽を撃破したのであった。

曹丕の代になると皇帝即位に大きく関わり、曹丕からは息子の後見役を任せようと考えるほどの信頼を得た。
だが桓階は間もなく病を得てしまう。曹丕は励ますように桓階や三人の子、早逝した長男まで候に封じ、危篤に陥ると九卿の一つ、太常に任命したが、その甲斐なく桓階は世を去った。

冷酷非道で知られる曹丕だが、司馬懿、夏侯尚(かこうしょう)、孟達(もうたつ)ら気に入った人物には度を超した厚遇をする一面がある。だが曹丕にここまで死を惜しまれた人物はいないのではなかろうか。
蜀から寝返ってきた孟達と昵懇の間柄だったという逸話も、桓階の人格者ぶりを表しているように思える。

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