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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・杜襲  司馬懿の軍師



杜襲(としゅう)字は子緒(ししょ)
豫州潁川郡定陵県の人(??~??)

魏の将。曽祖父と祖父はきわめて高名で、県の高官が着任時に墓参する習わしがあるほどだった。
杜襲も若い頃から名声高く、陳羣(ちんぐん)、辛毗(しんぴ)、趙儼(ちょうげん)らと並び称された。
やがて戦乱を避けて荊州に移ったが、劉表(りゅうひょう)を評価しなかったためその招きには応じず、厚遇されていた親友とは絶交するほどだった。

その後、献帝(けんてい)を保護した曹操に招かれ荊州に隣接する西鄂を治めた。
当時は盗賊や山賊が跋扈し、民は城に立て籠もったまま外に出られず農耕すら満足にできない有り様だった。
201年、劉表配下の一万もの大軍に包囲された時、杜襲は官民から50数名の兵を集めた。杜襲は「城外に親族がいる者は出て行って構わない」と言ったが彼の恩愛ある統治を慕っていた兵は誰も出て行かなかった。
卓越した指揮能力で数百人を討ち取るも、集めた兵はほぼ全員が死傷し落城したが、杜襲は負傷者をつれて包囲を破ることに成功した。
またこの時、柏孝長(はくこうちょう)という者が当初はおびえて布団をかぶり震えていたが、4~5日も経つと戦いに加わるのを見て杜襲は「勇気は習えるものだ」と述懐している。
後にその戦いぶりを買われ順調に出世を重ねた。曹操からの信頼は厚く王粲(おうさん)に嫉妬されるほどだったという。

215年、漢中を制圧すると軍事の監督を任された。この時も杜襲は良政を布いたため彼の勧めに従い8万もの民が都へ移住した。
定軍山の戦いで主将の夏侯淵が戦死すると将兵は激しく動揺したが、杜襲はすぐさま後任に張郃を選び動揺を収めた。
漢中が劉備の手に落ちると、曹操は長安に誰を置くか悩んだ。人事の担当官が挙げた人材に不満を抱き、直々に杜襲を選んだ。

曹丕、曹叡の代にも厚遇された。諸葛亮が北伐の軍を起こすと杜襲は曹真(そうしん)の軍師を務めた。
曹真が没すると司馬懿が後任になったが杜襲は軍師に据え置かれた。
病を得て都に召還されたが間もなく逝去した。

陳寿は「柔和で純粋であるが筋を通し妥協を許さず、人を統率する道を心得ていた」と評している。

「演義」では定軍山の戦いに出てくるただのちょい役で、黄忠に撃破され夏侯淵も討ち取られると逃亡した。

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