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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・曹植  詩聖



曹植(そうしょく)字は子建(しけん)
豫州沛国譙県の人(192~232)

~経歴~
曹操の五男。母は曹丕、曹彰(そうしょう)、曹熊(そうゆう)と同じ卞(べん)氏。
李白、杜甫が登場する以前の中国を代表する文学者として「詩聖」と呼ばれる。

10歳の頃から「詩経」、「論語」ら数十万字をそらんじ、優れた詩をいくつも著した。
それを読んだ曹操は、幼い我が子が作ったとは信じられず「誰か人に頼んだのか」と尋ねた。すると曹植は「私が口を開けば議論となり、筆を下ろせば文章となります。お疑いならどうぞ目の前でお試しください。どうして人に頼む必要がありましょうか」と答えたという。

曹植は礼法にこだわらず、贅沢を嫌い、酒をこよなく愛する奔放な性格であった。
一文学者と思われがちだが、若くして曹丕とともに数々の戦に従軍し、腹心の楊修(ようしゅう)には「詩文で名を残すことを立派だとは思わない。男子たるもの武功を立て、善政を敷き、国家に貢献することが本望だ」と語っており、これは兄・曹丕の「文学こそ国家の大業であり、不朽のものである」という言葉とは好対照である。

自身も詩人として名高い曹操に才を愛され、嫡子の曹丕と曹植のどちらを後継者にするか悩んだため、それぞれの腹心たちは激しい後継者争いを繰り広げた。しかし争いに血道を上げたばかりに曹操の不興を買った楊修は殺され、また嫡子を後継者にせず、その死後に内部分裂を招いた袁紹、劉表(りゅうひょう)らの末路を思い、結局は曹丕が後継者に決まった。
どうにも創作めいた話だが、荊州の関羽が北上し、曹仁が窮地に陥ったとき、曹植を援軍に向かわせようとしたが、曹丕が出陣前の景気付けにと曹植を泥酔させたため、曹植はろくに指令を受けることができず、曹操を幻滅させたという逸話も知られている。

曹操の死後、跡を継いだ曹丕は理由をつけて曹植の側近を次々と殺し、ついには曹植を僻地へと追放した。
曹丕の死後も扱いは変わらず、親族との交流もろくに許されなかった。
最大の庇護者だった母も亡くすと232年、失意のまま41歳の若さで没した。

曹植の詩は躍動感あふれスケールの大きい物であり、その内容も貴公子や若武者の心情を描いたものから、友人や兄弟との別れを詠ったもの、庶民の目線に立ったものと多岐にわたり、それまで軽んじられていた五言詩を中国文学の主流としたのは曹植、曹操、曹丕や建安七子の働きによるものだという。

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