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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―魏・曹林  曹操の子の沛王

曹林(そうりん)字は不明
豫州沛国譙の人(??~256)

曹操と杜氏(とし)の子。(『武文世王公伝』)
別名は曹豹(そうひょう)。(『武帝紀』)

母はもともと呂布配下の秦宜禄(しんぎろく)の妻だったが、紆余曲折あり198年に曹操の側室となり、寵愛され曹林ら3人の子に恵まれた。(『明帝紀』)

211年、饒陽侯に封ぜられたのを皮切りに各地に転封され、222年に譙王となった。曹操の故郷に封ぜられたことからも寵愛ぶりがうかがえる。(『沛穆王林伝』)

215年、早逝した異母兄弟の曹玹(そうけん)の後を、曹林の子の曹賛(そうさん)が継いだが、曹賛もまた早逝したため、その弟の曹壱(そういつ)が継いだ。(『済陽懐王玹伝』)

黄初年間(220~226)に隗禧(かいき)が郎中に任じられると、高名な儒学者の彼を曹林は師事した。隗禧も誠意をもって教え、多くの褒美を下賜された。(『王朗伝』)

232年、転封され沛王となったたため、母の杜氏は沛王太妃(はいおうたいひ)とも称される。(『沛穆王林伝』)

235年、同母弟の曹袞(そうこん)が病に倒れたため、母とともに見舞ったが、曹袞は息を引き取り、詔勅により曹林が葬儀を執り行った。(『中山恭王袞伝』)

景元年間(260~264)まで何度も加増され4700戸に至った。
没すると穆王の諡号を贈られ、子の曹緯(そうい)が後を継いだ。(『沛穆王林伝』)

ただし256年に没したと記されており、景元年間(260~264)に加増されたのは曹緯か、それとも単なる誤記と思われる。(『高貴郷公紀』)

また孫娘は竹林の七賢の一人である嵆康(けいこう)に嫁いでいる。(『沛穆王林伝』)

曹袞をはじめ他の王には処罰を受けた記録がまま見られるが、曹林にはそうした記述は見当たらず、無難に生涯を過ごしたと思われる。

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