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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・曹仁  鉄壁



曹仁(そうじん)字は子孝(しこう)
沛国譙の人(168~225)

~経歴~
曹操の従弟。曹操が決起すると1000人の兵を集め従った。
『三国無双』シリーズでは守備の人とされるが、実際は弓術・馬術に優れ、騎兵を率いて常に先陣を切った。
曹操の信頼も絶大で、地方の太守に任じたときも、任地には赴かせず手元に置いて騎兵を任せた。
周瑜と戦ったときのこと。配下の牛金(ぎゅうきん)に300の兵を任せ奇襲をかけさせたが孤立してしまい、全滅しかけた。
それを見た曹仁は激怒し、自ら出陣しようとした。周りの者は「300程度の兵を助けるために大将が出陣してはいけない」といさめたが曹仁は聞かず、わずか数十の兵を率いて牛金を助け出し、悠々と帰還してみせた。配下は「将軍はまるで天人のようだ」と感服した。

ただの武辺者ではなく冷静さも持ち合わせていた。ある城を攻めたときのこと。曹操は城兵の皆殺しを命じたため必死の抵抗に遭い、城は落ちる気配がなかった。そこで曹仁は「城を攻めるときはわざと逃げ道を空け、敵に生きる望みを持たせることです。負ければ皆殺しにされると思えば必死になるのは当然です」と進言し、城兵に降伏を許すと、すぐに城は陥落した。

守備の才が発揮されたのは関羽と戦ったときのこと。長雨で河が氾濫し、城は水没し兵糧は底を突いた。しかし大将の曹仁が決死の覚悟を見せたため士気は落ちず、援軍が来るまで持ちこたえ、関羽は引き上げ呉軍に討たれた。

若い頃は乱暴者で手に負えず、家督を弟の曹純(そうじゅん)に奪われてしまった。しかし長じてからは常に左右に法律家を置き、法を厳格に守った。曹操は若い頃の曹仁と同じように気性の激しかった息子の曹彰(そうしょう)に「将軍たるもの、曹仁のように法を守れ」とさとしたという。

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