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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・夏侯尚  閲覧注意



夏侯尚(かこうしょう)字は伯仁(はくじん)
出身地不明(??~225)

~経歴~
魏の将。夏侯淵の甥で、曹丕の学友。
夏侯淵の伝に「飢饉のおり弟が亡くなったため、夏侯淵は我が子を捨てて弟の子を育てた」とあり、その甥が夏侯尚の可能性がある。

曹丕とは身分を超えて親しく付き合った。杜襲(としゅう)は「夏侯尚は付き合っても得をしない人物である」とたびたび諌めたが、曹丕は聞く耳を持たなかった。
反乱討伐や曹操の棺の護衛で評価され、曹丕の代になると荊州刺史を任された。関羽が討ち死にし、上庸太守の孟達(もうたつ)が寝返ると、夏侯尚は徐晃とともに上庸を攻め、劉封(りゅうほう 劉備の養子)を追い出し攻略に成功した。
関羽の仇討ちに乗り出した劉備が敗れると、曹丕は同盟を破棄し三方から呉に攻め入らせた。夏侯尚はかねてから呉に対する軍備を整えており、張郃、曹真(そうしん)らと江陵を囲んだ。諸葛瑾(しょかつきん 諸葛亮の兄で呉の重臣)の援軍を破るなど優位に立ったが、守将の朱然(しゅぜん)による必死の防戦と、潘璋(はんしょう 関羽を討ち取った猛将)の奇襲、疫病に悩まされ、数年の攻防の末に撤退した。

夏侯尚は戦乱が続き荒廃した荊州の開発に当たり、道路を整備し、異民族を手なずけよく治めた。また裏で諸葛亮と通じていた孟達とも親しくし、存命中は反乱をさせなかった。
だが曹真の妹である妻をないがしろにし、妾をかわいがっていたところ、妻は従兄の曹丕に泣きつき、激怒した曹丕は妾を殺させてしまった。
夏侯尚は失意のあまり正気を失い、妾の遺体を掘り起こしては添い寝するなどした。それを聞いた曹丕は「杜襲が夏侯尚は私の友人にふさわしくないと言っていたがその通りであった」とますます怒りを含めたが、夏侯尚に会うとあまりの憔悴ぶりに驚き「やりすぎであった」と反省し、元通り厚遇した。
曹丕はたびたび見舞い、その手を握っては涙したが1年後、夏侯尚は愛妾の後を追うように亡くなった。
曹丕は深く後悔し、その息子を取り立て、諡号と将軍の印綬を贈った。


~演義での夏侯尚~
『演義』での夏侯尚は定軍山の戦いにおいて、夏侯徳(かこうとく 夏侯尚の兄として演義のみに登場する)らとともに蜀軍と戦うが、黄忠に捕らえられてしまう。
その前に魏軍が捕らえていた陳式(ちんしき)と捕虜交換されることになるが、味方の中に走り込もうとしたところを黄忠に射られた。『横光三国志』では背中に深々と矢が刺さって倒れ、夏侯淵に「あっ夏侯尚! ぬうう、かかれ!」と叫ばれ、どう考えても戦死したと思われたが、数年後の上庸の戦いの時にひょっこり復帰しており衆目を驚かせた。が、復帰の際に2コマだけ姿を見せただけで以降は全く登場しない。

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