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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・国淵  岩の上にも数年



国淵(こくえん)字は子尼(しに)
青州楽安国蓋県の人(??~??)

魏の臣。「演義」には登場しない。
大学者の鄭玄(じょうげん)に師事し「国の大器となる」と評価されたが、戦乱を避けて管寧(かんねい)、邴原(へいげん)らとともに遼東へ逃れた。当地では山中の岩屋で暮らしたという。
後に故郷へ戻ると曹操に招聘され、屯田を担当し5年で大きな実績を上げた。
諫言をはばからず、私情を挟まなかった。高位に上っても粗衣粗食を続け、褒賞は一族に分け与えたという。

211年、馬超が反乱し曹操が討伐に行くと、国淵は留守中の事務を任された。後に任地で田銀(でんぎん)が反乱を起こすと「首謀者だけを処刑し他の者は赦すべきだ」と進言し、曹操もそれを認めた。
鎮圧されると、実際の戦果の10倍を記録するのが通例だったが、国淵は任地での反乱だったため誇るべきことではないとし、戦果を実数通りに報告したため曹操に賞賛された。

没年は不明だが曹丕が即位する220年までに死去した。


~国淵の名推理~
ある時、政治を非難する投書が何度も出され、曹操は国淵に犯人を探すよう命じた。
国淵は文書を精査すると「二京の賦」が多く引用されていることに気づき、一計を案じると学問に優れた若者を集めさせた。
そして彼らに「二京の賦」に詳しい人物に師事するよう告げると、間もなく見つかったので、筆跡を手に入れ投書と照らし合わせた。
筆跡は一致し犯人は逮捕されたという。
若者を集めた下りが二度手間な気がするが、面白い逸話なので紹介した。

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