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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・呉質  醜い腰巾着



呉質(ごしつ)字は季重(きじゅう)
兗州済陰郡の人(177~230)

魏の臣。司馬懿、陳羣(ちんぐん)、朱鑠(しゅしゃく)とともに曹丕の「四友」に数えられる。
曹丕が弟の曹植(そうしょく)と後継者争いをしていた頃、任地を離れ行李に隠れて宮中に出入りし、善後策を練っていた。
それを察知した曹植派の楊脩(ようしゅう)は曹操に告発したが、調査の手が及んだ時に呉質は先手を打って行李に絹を入れさせており、曹操は逆に楊脩が曹丕を陥れようとしたのではと疑い、後に楊脩が処刑される一因となった。

曹丕はますます呉質を重用するようになり「四友」の中で身分が劣るのを哀れみ、次々と昇進させた。
呉質にあてた文書も多く残されており、交友を結んだ相手には過剰に親愛を注ぎ、嫌った相手には苛烈に当たる曹丕の性格の一端がかいま見える。
そして曹丕の寵愛をかさに着た呉質は、大将軍の曹真(そうしん)の肥満をからかい激怒させたり、幽州刺史の崔林(さいりん)が頭を下げなかったのに立腹し太守に降格させたりと傲慢に振る舞うようになった。

曹叡(そうえい)の代になっても態度は改まらず、「四友」の陳羣を讒言したが周囲の者には呉質の言葉こそ的外れだと思われていた。
そうした評判は呉にも聞こえており、胡綜(こそう)は偽の降伏文で謀叛をでっち上げようとしたが、呉質がすでに中央に召喚されたため不発に終わった。

230年、54歳で没すると「醜侯」と諡された。いかに呉質が嫌われていたかわかるが、20数年後に息子が奔走し「威侯」と改められた。

非常に面白い人物だが「演義」では行李に隠れた際の逸話が語られるだけで、曹丕の有能な腹心になってしまっている。

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