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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―魏・司馬炎  三国統一



司馬炎(しばえん)字は安世(あんせい)
司隷洛陽の人(236~290)

晋の初代皇帝。司馬懿の孫で、司馬昭と王元姫の長男。
若くして声望高く、祖父や伯父・司馬師の就いた官職を歴任した。
司馬昭は当初、若くして没した兄・司馬師の養子になっていた弟の司馬攸(しばゆう)に跡を継がせたいと考えたが、重臣の反対にあい265年5月、司馬炎を後継者に指名した。
同年8月、司馬昭が没すると跡を継ぎ、12月には魏帝・曹奐(そうかん)に禅譲を迫り帝位を奪い晋を建国した。

魏は曹丕の代に一族の権力を弱め内乱を未然に防ごうとしたものの、その後曹丕、曹叡(そうえい)と若くして皇帝が亡くなり重臣の司馬氏の専横を招いたことから、司馬炎は一族27人を王として各地に送り、魏とは逆に皇族に大きな権力を与えた。
そして後漢や魏の皇族からも人材を集め、広く良政を敷き、280年には呉を降し三国統一を成し遂げた。

だが悲願を達成した司馬炎はその後、政治への興味を失い堕落していった。
賄賂を取っては私腹を肥やし、そのため宮中には賄賂の習慣が横行した。
統一前の273年には女子の婚姻を禁じ、5千人もの美女を選んで後宮へ入れた。呉を滅ぼすと呉帝・孫晧(そんこう)の後宮にいた5千人の美女をそっくりそのまま自分の後宮に移した。
計1万人の宮女の住む広大な後宮を、司馬炎は羊に引かせた車に乗って巡回し、羊が足を止めた家に住む宮女のもとで一晩を過ごした。
そのため宮女たちは知恵を絞り、家の前に竹の葉と塩を盛って、羊が食べるために車を止めるよう工夫した。これが客招きのまじないとして現代にも伝わる盛り塩の起源だとされる。

嫡子の司馬衷(しばちゅう)は愚鈍で(知的障害者だったとの説もある)、人々はかつて司馬昭が後継者に推した司馬攸が代わって跡を継ぐか、司馬衷を補佐することを願っていた。
だが佞臣の荀勗(じゅんきょく)は司馬攸が高位につけば自分たちは排除されると危ぶみ、讒言して左遷させてしまった。
司馬攸の支持者も次々と粛清され、怒りのあまり病を発した司馬攸はそれでも威儀を正して任地へ向かったものの、荀勗の息のかかった医師らの治療も受けられず没した。

290年、司馬炎は病死した。
実権は皇后の一族である楊氏に握られ、やがて大きな力を持つ各地の一族が野心を抱いては反乱を繰り返し、中央で力を蓄えた異民族の有力者たちが祖国へ帰り蜂起した。
晋は早くも司馬炎の孫の代に滅亡し、江南に移り東晋が立てられたが乱は治まらず、五胡十六国時代へと続いていく。

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