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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝――魏・諸葛誕  がんばれ諸葛タン



諸葛誕(しょかつたん)字は公休(こうきゅう)
琅邪郡陽都県の人(?~258)

~経歴~
魏後期の将。演義では孔明の従弟とされるが史実ではない。実際には遠縁で、諸葛家の本家筋という説もある。

剛直な人柄で知られたが、出世をうとまれ中傷で左遷される。
親友の夏侯玄(かこうげん)らの取りなしで復帰すると、呉に対する最高司令官として多大な功績を立てた。
しかし夏侯玄や文欽(ぶんきん)らが、当時の政権をほしいままにしていた司馬懿の暗殺を計画した時から、彼の運命は狂い始める。
諸葛誕は、使者を斬り捨てて反乱の誘いを断り、自ら兵を率いて反乱軍を鎮圧。夏侯玄は計画に失敗し処刑、文欽は呉に亡命した。
忠誠心を讃えられるが、親友を一度に失った彼は、次は自分の番と疑心暗鬼に陥る。

自衛のために数千人の傭兵を集めるが、これが逆効果となり、魏は諸葛誕を警戒。
呉軍が攻め寄せたので援軍を求めるも、諸葛誕に力をつけさせることを恐れた魏は兵を送らなかった。
不満を募らせる諸葛誕を懐柔させようと、官位を与えるから都まで出向くように命じられると「暗殺される」と思いこみ、ついに反乱を決意。
楽綝(がくちん)を暗殺して南東部の兵力を握り、呉と結んで決起。それに連動して蜀軍も出撃し、魏国史上最大規模の反乱となった。
しかし彼は味方に恵まれなかった。

司馬懿の後を継いでいた司馬昭(しばしょう)の動きは早く、諸葛誕のこもる城を完全に包囲。
合流できずにいらだつ呉の総大将、殺人丞相こと孫綝(そんちん)は部下をやつあたりで処刑しまくって士気を落とし、退却。
蜀軍も持久戦に持ち込まれてなにもできず撤退。かくして諸葛誕は援軍を失った。

ついには、呉に亡命し今回の戦に援軍として駆けつけていた、かつての親友・文欽と仲違いしたあげくに殺してしまい、文欽の息子は魏に降る。
司馬昭は文欽の息子たちを取り立て「降伏すれば許される」と知った部下たちは次々と諸葛誕のもとを離れた。
9ヶ月の間、籠城をつづけた諸葛誕もついに力尽き、討ち取られた。
戦後、捕らえられた諸葛誕の腹心100名は降伏を勧められたが「諸葛公のために死ねるなら本望です」と全員が降伏を拒否し、処刑された。

後世の人々に「諸葛一族の亮・瑾・誕。蜀は龍を得た。呉は虎を得た。しかし魏は犬を得た」と揶揄されたが、決してただの凡将ではなかった。

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