許楮(きょちょ)字は仲康(ちゅうこう)
沛国譙の人(?~?)
~経歴~
曹操の親衛隊長。
若い頃、一族や近隣の若者を数千人集め、賊と戦った。
賊の猛攻で矢が無くなったとき、許楮は代わりに石を投げ、賊を追い払った。
またあるとき、米が無くなったので賊軍に牛と米の交換を申し出た。
ところが許楮は牛を逃げ出させ、賊は「約束が違う。牛を寄こせ」と怒った。
しかし許楮が牛の尻尾をつかんで百歩も引きずり回すのを見ると、恐れをなして逃げていった。
許楮は腹心を率いて曹操に降り、親衛隊に取り立てられた。
馬超と戦ったおり、奇襲を受けて曹操は孤立した。
許楮は単身で曹操を守り、馬の鞍で矢の雨を防ぎ、自ら船をこいで逃げのびた。
その勇名を聞いた馬超は後日、曹操と会見したおりに、許楮が側に控えているのを見ると、手出しできずに去った。
それ以来、許楮の名は天下に響いたが、あだ名の「虎痴(こち)」の方が知れ渡り、誰もがそれを本名だと思った。
許楮は曹操の死後も、息子の曹丕の護衛を務め、許楮の臣下はいずれも重く取り立てられた。
~異名~
虎痴 虎のように強く愚直である意。