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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝――魏・夏侯惇  盲夏侯

  

夏侯惇(かこうとん)字は元譲(げんじょう)
豫州沛国譙県の人(?~220)

魏の将。曹操の父・曹嵩(そうすう)は叔父にあたり、曹操とは従兄弟の間柄だという。

14歳の時、学問の師を侮蔑した男を殺し、一躍名を上げた。
曹操には挙兵時から従い、多くの戦で武功を立てた。
勉学に熱心で遠征中にも学者を招いて教えを受け、私利私欲がなく余分な金は残らず他者に分け与え、金に困ると官吏から借り受けたという。

194年、曹操が徐州に遠征した隙をつき、呂布・張邈(ちょうばく)らが反乱した。
留守を任されていた夏侯惇は捕らえられたが、配下の韓浩(かんこう)は「軍規では人質を無視して敵を攻めることになっています」と涙ながらに詫びつつ呂布軍に攻撃を仕掛けたため、結果的に夏侯惇は無事に救出された。帰還した曹操は韓浩の判断を激賞し、以降は人質を取っても無駄だと敵軍に周知された。

また、呂布との戦いで夏侯惇は流れ矢により左眼を失った。以来、従兄弟の夏侯淵と区別し「盲夏侯」と呼ばれたが夏侯惇はその異名を嫌がり、また鏡を見るたびに激怒し打ち砕いたとされる。
短気な性格で衛臻(えいしん)の妻に饗応を求めたが拒絶されたのを恨んで衛臻を迫害したり、劉備との博望坡の戦いでは李典(りてん)の進言を無視して追撃を仕掛け敗北することもあったが、配下や民には温厚で知られ、自ら土を担いで堤防を築くのを手伝ったという逸話も残る。

その後も曹操軍の主力として各地を転戦した。
219年、荊州から北上した関羽に備えるため遠征に出た曹操は、夏侯惇を同じ車に乗せ、寝室に招き親しく言葉を交わした。
これまで夏侯惇は配下の中で唯一、曹操と同じく漢の官位にしか就いておらず、立場は同等であった。
だがそれでは他の者に示しが付かないと夏侯惇は魏の官位を望んだ。曹操は友人である夏侯惇を配下にはできないと渋ったが、最後には説き伏せられて魏の前将軍の座を夏侯惇に与えた。

220年正月に曹操が没し、夏侯惇も後を追うように4月に亡くなった。
夏侯惇は曹操が帝位につくことに強硬に反対しており、没すると存命のうちに即位させてやるべきだったと後悔し、病を発したとする説もある。
利殖に興味を持たなかったため財産は無く、近年になって発掘された陵墓にはたった一振りの愛刀が収められていただけだという。

「演義」では曹操との主従を超えた友人関係は描かれず、短気な猛将として登場。
だが左眼を失った逸話は大きく脚色され、呂布軍の曹性(そうせい)に射抜かれた目玉を矢ごと引き抜くと「両親から頂いた身体を捨てられるものか」とその場で平らげ、すぐさま曹性を突き殺している。

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