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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―隠者・胡昭  周辺の争いを無くす

胡昭(こしょう)字は孔明(こうめい)
豫州潁川郡の人(162~250)

隠者。

はじめ(戦乱を避けて?)冀州へ避難したが、袁紹に招聘されたため、辞退して郷里に戻った。
208年、丞相に任じられた曹操に招聘されると、胡昭は出向いて「私は一介の野人で軍事・国家の役には立ちません。忠誠を示すだけにさせていただきたい」と辞退した。
曹操は「人にはそれぞれ志があり、出処進退の方向は異なる。最後まで高尚な志を通しなさい。あなたの意志を曲げさせはしない」とそれを認めた。
胡昭は司隸河南郡の陸渾山に隠棲し、自給自足を始め、書に親しみ、周辺の人々に敬愛された。

出仕前の司馬懿は胡昭と親しくしていた。ある時、周生(しゅうせい)が司馬懿の殺害を企てたと聞き、胡昭は遠路はるばると出向き制止した。周生ははじめ耳を貸さなかったが、涙ながらに説得されると心を動かされ取り止めた。
胡昭はこれを口外しなかったが、彼の誠実さは有名だった。

211年、馬超の反乱により多くの流民が避難してきて、食料をめぐって争った。胡昭はそのたびに彼らを和解させた結果、ついに周辺の三百里から争いは絶えて無くなった。
 
218年、陸渾県長の張固(ちょうこ)は、命令を受けて徴兵し漢中へ送ろうとしたが、遠隔地への赴任を嫌がる人々を扇動し、孫狼(そんろう)が反乱した。
張固は十余人の部下を連れて胡昭を頼り抵抗した。孫狼は関羽に服属し、なおも戦いを続けたが反乱軍は「胡先生の地域は侵犯するな」と誓い合ったため、一帯は被害を免れた。
戦乱が治まると司隸弘農郡宜陽に移り住んだ。

正始年間(240~249)に魏の多くの重臣が胡昭を推挙した。
幽州刺史の杜恕(とじょ)は自ら草庵を訪ね、胡昭の道理を論ずる言葉に謙虚さと敬意を感じ、大いに尊敬した。

当時は戦が続き、実務にそぐわない胡昭らの招聘は後回しにされていたが、ある時、荀顗(じゅんぎ)らが揃って胡昭を推挙した。まず人物評価に掛けられようとしたが、韋誕(いたん)は「荀顗ら忠臣の進言を疑う理由はない。特例で招聘すべきだ」と意見したため、評価を省略して250年、特例で召し出そうとしたが、ちょうど亡くなった。享年89。
子の胡簒(こさん)が郎中に任じられた。

胡昭は隷書にも巧みで、鍾繇(しょうよう)、韋誕ら名手と並び称され、その筆跡はよく手本にされたという。(『管寧伝』)

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