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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・龐羲  劉璋の縁者



龐羲(ほうぎ)字は不明
司隷河南尹の人(??~??)

蜀の臣。はじめは朝廷に仕えた。益州牧の劉焉(りゅうえん)とは父祖からの交流があり194年、馬騰(ばとう)に協力し董卓の残党と戦った劉焉の息子たちが敗死すると、その子供を保護して益州へ逃れた。
劉焉が没し劉璋(りゅうしょう)が跡を継ぐと、その息子の劉循(りゅうじゅん)に龐羲の娘が嫁いだ。
龐羲は漢中の張魯(ちょうろ)に備え、また広く人材を集めたため若き日の鄧芝(とうし)らが身を寄せた。

だが張魯に対抗するため人材と私兵を集めていることを謀叛の兆候と讒言する者があり、劉璋は龐羲に猜疑心を抱いた。
龐羲は程畿(ていき)の息子を人質に取り自分を弁護するよう迫ったが、程畿は「異心を抱いていないなら誠意を尽くすべきだ」と取り合わず、やむなく龐羲は劉璋に自ら弁解し、事なきを得た。
なお211年にも、張松(ちょうしょう)が劉備を益州を招き入れようと考え「龐羲や李異(りい)が謀叛を企んでいる」と讒言しており、以前に讒言した者も張松である可能性は残る。(また李異はこの讒言が原因か、間もなく孫権のもとへ去ったと考えられる)

劉備が益州を統治すると、龐羲もそれに仕えた。

「演義」では場所によって龐義(ほうぎ)という名でも登場。ただの端役だがいちおう地位は「正史」に準じている。

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