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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・鄧芝  蜀と呉を結んだ交渉人



鄧芝(とうし)字は伯苗(はくびょう)
義陽郡新野の人(?~251)

~経歴~
蜀の臣。
名門の末裔だがなかなか人に認められず張裕(ちょうゆう)に人相を見てもらうと「70を過ぎてから大将軍になるだろう」と言われた。
県の食料庫の管理をしていたとき、視察に来た劉備の目に留まりようやく出世の道が開けた。
劉備が死に、諸葛亮が呉に対する備えに頭を悩ませていると、鄧芝は「いまこそ友好の使者を送るべきです」と提案した。諸葛亮は「私もそれを考えていたが、使者にふさわしい者が見つからず困っていた。だがようやく見つけた」と鄧芝を使者に任じた。
孫権ははじめ警戒して会おうとしなかったが、鄧芝が「蜀だけではなく呉のために来たのです」と手紙を送ったため引見した。
孫権は「わしも同盟を望んでいるが、蜀の皇帝は幼く、魏につけこまれるのではないか」と鄧芝を試す質問をした。
鄧芝は「蜀には諸葛亮がおり、呉にはあなたという英雄がいます。両国とも天然の要害に守られ不安はありません。もしあなたが魏に臣従すれば人質を要求され、断れば侵攻されるでしょう。そのときには蜀も呉に攻めあがります」と述べた。孫権は深く考えてもっともだと思い、魏と断交し蜀と同盟を結んだ。
孫権は「魏を滅ぼしたら両国で平和を分かち合おう」と言ったが、鄧芝は「そのときには両国で覇を競うだけです」と答えた。孫権は「君らしい正直な言葉だ」と笑い、諸葛亮への手紙では「いままでの蜀からの使者は、うわべだけで語ったり、言葉足らずだったりと信用できなかった。いま両国が仲むつまじくできるのは鄧芝の功績だ」と語った。

やがて鄧芝は将軍となり、諸葛亮の没後も重職を歴任した。諸葛亮よりも年上で、車騎将軍となったのは予言どおり70を越えたころだったと思われる。だが衣食は支給で済ませ利殖に興味を持たなかったため、妻子は飢えや寒さに苦しみ、財産はすこしも残らなかった。鄧芝の人となりは豪放磊落で感情をあらわにするため、友人は少なかった。彼が人を評価することもすくなかったが姜維の才だけは認めていた。
あるとき山で黒猿に出くわし、これを射殺した。すると子猿が矢を抜き、傷口に木の葉を巻きつけた。鄧芝は「人間でありながら猿にも劣る、物の本性に背くことをしてしまった。間もなく私は死ぬだろう」と嘆いた。はたしてその年に鄧芝は没した。

蜀と呉の同盟は滅亡までつづき、孫権はたびたび鄧芝に贈り物をしたという。

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