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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・許靖  鑑定士は苦労人



許靖(きょせい)字は文休(ぶんきゅう)
汝南郡平輿の人(?~222)

~経歴~
若くして従弟の許劭(きょしょう)とともに人物評価の名手として知られたが、許劭との仲は悪かった。先に許劭が出世したが、許劭が裏で手を回したため許靖は取り立てられず馬を洗って生計を立てた。
董卓が政権を握ると周(しゅうひつ)とともに人事を任された。数多くの無名の人物を発掘し辣腕をふるったが、登用した者たちが次々と董卓に歯向かったため、周は董卓の不興を買って殺された。許靖は従兄が仕えていた孔伷(こうちゅう)を頼り都を脱出した。
その後は流浪の日々がつづき、親族や村人を連れて交州へと逃れた。曹操に招かれたが、権威をかさにきた態度に怒り、許靖は出仕しなかった。10年の月日が流れるうちに、風土病でつれてきた人々の9割が命を落とした。

劉璋(りゅうしょう)に招かれて蜀に移り、劉備が蜀を制すると重職を歴任した。許靖は70を越えても人材を見出しては世に送り、高尚な議論を好み人々と広く交わったため、諸葛亮らに尊敬された。
かつて陳紀(ちんき)に師事した縁で、華歆(かきん)や王朗(おうろう)、陳紀の子の陳羣(ちんぐん)ら魏の重臣たちとも手紙をやりとりし、親交は変わらなかったという。


~逸話~
次の逸話が広く知られている。
劉備が攻め寄せたとき、許靖は城壁を乗り越えて投降しようとしたが、失敗して捕らえられた。戦時中のことで処罰もできないうちに劉璋も降り、許靖は助かった。
それを聞いた劉備は「義に欠ける」と許靖を登用しなかったが、法正(ほうせい)は「許靖は無能だが、その名前は世間に知れ渡っている。許靖を登用しなければ、劉備は人を見る目がないと思われてしまう」と私情を捨てるように進言したため、許靖は取り立てられたという。

許靖は虚名だけの無能な人物か、それとも辛酸をなめつくした有能な人物か。どちらを信じるかはあなた次第です。

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