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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・秦宓  当意即妙の論客



秦宓(しんふく)字は子勅(しちょく)
益州広漢郡綿竹の人(??~226)

蜀の臣。秦宓(しんみつ)と読まれることも多い。
文学的才能や弁舌に優れ、益州牧の劉焉(りゅうえん)らにたびたび招かれたが、他人を推薦し自分は仕官しなかった。
劉備が益州を統治すると、劉備が小人物ならば仕官しないと言い放ったが、引見するとその人物を認め仕えるようになった。

関羽の戦死後、劉備が孫権への報復を考えると強硬に反対し投獄されたが、反対論を封じるための見せしめ的な意味合いで処刑はされず、劉備の死後は諸葛亮に重用された。

「演義」では劉璋(りゅうしょう)の配下として登場。
劉備の益州入りに反対した他、降伏勧告の使者として来た簡雍(かんよう)の傲慢な態度に対して一喝している。


~秦宓 VS 張温~
呉の使者の張温(ちょうおん)との論戦が面白いので紹介する。
張温は蜀の臣の学識を試し、また呉の優位性を強調するため論戦を挑み、秦宓がそれに応じた。

張温「あなたは学問をするのか」
秦宓「学問は5尺の童子でもするものだ」
張温「天に頭はあるか」
秦宓「西にある。『詩経』に『乃ち眷として西顧する』とある」
張温「耳はあるか」
秦宓「やはり『詩経』に『鶴は九皋に鳴き、声は天に聞こゆ』とある」
張温「足はあるか」
秦宓「『詩経』に『天の歩みは艱難、この子猶らず』とある」
張温「では姓はあるか」
秦宓「劉氏だ。天子の姓が劉氏である」
張温「しかし日は東より生まれる(東方に割拠する呉が天だという主張である)」
秦宓「東に生まれて西で死ぬのだ(西方の蜀こそ天だと返した)」

秦宓の打てば響くような当意即妙の答えに張温は敬服し、すっかり親蜀派になってしまった。
孫権は先に張温が丞相の孫邵(そんしょう)を弾劾していたこととあわせて彼を恨むようになり、ついに左遷し病死へと追いやり、それに飽きたらず遺族を迫害さえした。

また孫邵は呉の初代丞相を務めていながらなぜか「正史」に伝を立てられておらず、これは陳寿が「正史」を著す際に大いに参考にした「呉書」の作者である韋昭(いしょう)が張温の派閥に属していたからだと言われている。

秦宓の鋭い舌鋒は呉の多くの人々の運命を左右したのである。

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