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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・来敏  蜀のクソジジイ



来敏(らいびん)字は敬達(けいたつ)
義陽郡新野県の人(??~??)

漢の重臣を代々務める名家に生まれたが、戦乱を避けて姉とともに荊州へ逃れた。
やがて姉の夫の黄琬(こうえん)の縁をたどり益州の劉璋(りゅうしょう)に仕えた。

学問に長じ、劉備が益州を制圧すると太子・劉禅の家令に任じられた。
だがきわめて毒舌で猜疑心が深く、たびたび常軌を逸した振る舞いをしたため、劉備の死後に諸葛亮も堪忍袋の緒が切れ「来敏は年老い耄碌し、自分より若い者の足を引っ張ることしかせず反省もしない。先帝(劉備)も不快に感じていたものの劉巴(りゅうは)に推挙されたから大目に見てきたがもう限界だ」とついに罷免した。
「正史」・「演義」問わずきわめて温厚な諸葛亮をこれだけブチギレさせた人物は他にいないだろう。

諸葛亮の死後にも再登用→罷免→再登用→罷免されており、特に行状が改まった様子もなく、しまいには「執慎将軍」というそのものずばり「身を慎め」という意味を込めたオリジナル官位を与えられ、記録に残る限り三国で最長寿の97歳で没した。
同時期に活躍したやはり老学者の孟光(もうこう)もたびたび人々の逆鱗に触れる暴言を吐いたが、来敏の比ではなかったという。

「演義」には一ヶ所にだけ名前が記されるだけで、特に老齢とも毒舌とも触れられない。

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