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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・李恢  何がむむむだ



李恢(りかい)字は徳昂(とくこう)
益州建寧郡愈元県の人(??~231)

蜀の臣。
若いころ郡の役人をしていたが、親族が罪を犯し、連座して免職になりかけた。
しかし太守の董和(とうか)は李恢の才を惜しみ、免職を取り消すと逆に州へと推挙した。
だがその頃、劉備が劉璋(りゅうしょう)と益州の覇権争いをしており、李恢は劉備が勝利を収めると考え、その麾下に加わった。劉備はすぐに李恢を気に入り、当時、張魯(ちょうろ)のもとにいた馬超を説得させ、引き抜くことに成功した。

謀叛の濡れ衣を着せられたこともあったが、劉備の信頼は揺るがず、李恢を南中に対する総督とし、交州刺史も兼務させた。
劉備が没すると孫権の援助を受け、南中で高定(こうてい)、雍闓(ようがい)、朱褒(しゅほう)らが反乱した。
諸葛亮はまず孫権との関係を修復すると、225年に自ら軍を率い南中討伐に赴いた。李恢はその片腕として大いに活躍した。

遠征軍が引き上げた後も李恢は南中への抑えとして残り、相次ぐ反乱を鎮圧し、一方で多くの豪族を帰順させ彼らの貢ぎ物で国庫を潤した。
229年、交州が呉の支配下に入ると李恢は刺史の任を解かれ、中央に戻り2年後に没した。
「演義」における諸葛亮の奇想天外な南中攻略戦は、李恢や馬忠(ばちゅう)らの長年にわたる戦いが脚色されたものであるといって過言ではない。

「演義」での李恢も史実と同じく馬超の説得に成功。父・馬騰(ばとう)の旧友と設定される。
諸葛亮の北伐でも何ヶ所かに名前が見える。

「横光三国志」では李恢の理にかなった説得に思わず「むむむ」と唸った馬超を「何がむむむだ」とやり込めた場面があまりにも有名である。
また北伐でも一回だけ顔を出し、馬超の説得の際には文官然としていた彼の甲冑姿が見られる。

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