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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―蜀・廖立  自業自得



廖立(りょうりつ)字は公淵(こうえん)
荊州武陵郡臨沅県の人(??~??)

蜀の臣。荊州牧となった劉備に取り立てられ、二十代にして長沙太守に抜擢された。
諸葛亮は孫権に対し彼を「龐統に並ぶ荊州の良才」と紹介している。

215年、荊州の領有権をめぐり孫権と対立すると、長沙を含む三郡は呂蒙の奇襲攻撃により陥落した。
その際に廖立は当時まだ劉備の支配下に無かった益州へ逃亡したが、劉備の評価は変わらず、巴郡太守に異動させた。だが職務はきわめていいかげんなものだったと伝わる。

廖立は自身の才能が諸葛亮に次ぐと自負していたため、李厳(りげん)らよりも下の地位に置かれていることに不平を抱いた。
諸葛亮に対し卿の座を要求したが、他ならぬ李厳でさえ卿についていないことから却下され、ますます不満を募らせた。
そしてある時、蔣琬(しょうえん)と李邵(りしょう)に対し不平を漏らすとともに郭攸之(かくゆうし)、向朗(しょうろう)、王連(おうれん)、文恭(ぶんきょう)ら重臣の名を挙げて痛烈にこき下ろし、さらに劉備や関羽の敗戦(夷陵の戦いや荊州陥落)まで非難した。
蔣琬と李邵は当然これを諸葛亮に報告し、諸葛亮は死罪を命じたが、父をこき下ろされながらも劉禅が温情を示し流刑に留めさせた。

妻子とともに僻地に流され農耕で生計を立てつつも、廖立は自信を失わず、いつか諸葛亮は自分を復帰させると信じていた。
だが234年、諸葛亮の病没を聞くと落涙し望みが絶たれたことを察した。

その後、姜維が軍を率いて流刑地を通りがかったため挨拶に出向くと、廖立は以前と変わらぬ様子で意気高く、落ち着いた話しぶりで、姜維を感心させたという。
そのまま配所で没し、妻子は赦されて成都に帰ったと伝わる。

余談だが同じく罪を犯し平民に落とされた李厳にも、諸葛亮の死を嘆く同様の逸話があるが、李厳は気落ちしてそのまま病没しており、メンタルの強さならば確かに廖立に軍配が上がるのは間違いない。

「演義」でははなから流罪の身で、その理由は諸葛亮を誹謗したためとなっており、やはり諸葛亮の死に絶望し嘆息している。

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