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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝――蜀・楊儀  口は災いの元



楊儀(ようぎ)字は威公(いこう)
荊州襄陽郡の人(?~235)

蜀の臣。はじめは魏の荊州刺史である傅羣(ふぐん)に仕えたが、慕っていた関羽に鞍替えした。
その後、劉備のもとへ使者として赴いた時に気に入られ、側近として取り立てられた。
221年に劉巴(りゅうは)と諍いを起こし有名無実の弘農太守(弘農は魏の領地である)に左遷されるも、劉備の没後に才能を買っていた諸葛亮によって再び抜擢された。

事務処理能力に優れた彼は諸葛亮の幕僚として後方支援を滞りなく担当した。
だが狭量で傲慢な性格で他者には嫌われ、特に魏延とは犬猿の仲だった。魏延が刀を抜いて楊儀を脅し、怯えた楊儀が泣きわめくことさえあり、両者を頼りにしていた諸葛亮はどちらを処罰することもできず頭を悩めていた。

234年、諸葛亮が陣中で没すると、楊儀は遺命に従って全軍を無事に撤退させたが、魏延は指示に背き、あまつさえこの機に楊儀を討とうとした。
だが他の諸将の賛同は得られず孤立し、楊儀の命を受けた馬岱によって討ち取られた。
楊儀は魏延の首級が届けられると、それを踏みにじり「愚か者め、もう悪事はできまい」と罵ったとされる。

楊儀は全軍撤退と魏延の討伐を成し遂げた自分が諸葛亮の後継者にふさわしいと考えたが、蔣琬(しょうえん)に後任の座を奪われた。
それどころか楊儀は閑職に追いやられ、不満を募らせた彼は費褘(ひい)に「こんなことになるくらいなら丞相(諸葛亮)の没後に魏に降れば良かった」と漏らした。
費褘はそれを当然、密告したため楊儀は庶民に落とされ流罪となった。
だが楊儀は反省するどころか流刑地からも誹謗中傷の上奏を放ち続けたため、ついに劉禅は彼を拘束させようとし、楊儀は自害を選んだ。

「演義」でもほぼ同様の事績が描かれ、性格も大差ない。
だが諸葛亮没後の2つの功績は、全軍撤退は諸葛亮が用意させていた自分の木像で魏軍を驚かせ、魏延の討伐も反乱に備えあらかじめ配下に馬岱を送り込んでいた、とどちらも生前の諸葛亮がこんなこともあろうかと仕掛けておいた策略によるものとされた。
しかしその最期は平民に落とされたことを恥じての自害と、史実よりも潔いものにアレンジされている。

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