忍者ブログ

夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―晋・甄悳  司馬炎の姉婿

甄悳(しんとく)字は彦孫(げんそん)
荊州西平郡の人(??~??)

魏・晋の臣。
郭立(かくりつ)の長男。
二代皇帝・曹叡(そうえい)の皇后の郭皇后は従姉にあたる。

才能も学問も無いが慎み深く謙虚だった。
232年、曹叡は娘の曹淑(そうしゅく)が没すると平原懿公主と諡し、甄姫(曹叡の母)の従孫ですでに死去していた甄黄(しんこう)と冥婚させた。
そして郭皇后の従弟の郭悳(かくとく)を甄黄の養子にし、甄悳と名乗らせ平原侯として後を継がせた。
他家から養子にとる強引な手法は、後世にわたって批判された。

司馬師は実権を握ると、皇后の血統に結びつこうと考え、甄悳に娘を嫁がせた。その娘が早逝してしまうと、弟の司馬昭が娘の京兆長公主(けいちょうちょうこうしゅ)を嫁がせた。(『甄皇后伝』)
甄悳と弟の郭建(かくけん)は揃って鎮護将軍となり列侯された。(『明元郭皇后伝』)

254年、三代皇帝・曹芳(そうほう)の廃位を求める上奏に、中堅将軍・平原侯として連名した。その際に名は「郭徳」と記されている。(『斉王紀』)

264年、広安県公となり1800戸に加増された。
265年、晋の代になると甄悳・郭建と一族の甄温(しんおん)は特進となり、甄悳が司馬炎の姉婿にあたるため、以後も一族は厚遇された。
甄悳は権力を得ても変わらず節操正しく、質素を重んじため誰からも尊敬された。晩年には宗正に転任し侍中に昇進した。

太康年間(280~289)、司馬炎の弟の司馬攸(しばゆう)は兄と反目し、都から追放されそうになった。甄悳と、司馬炎の娘婿の王済(おうせい)は有能な彼を追放するのは得策ではないと反対した。
人々は称賛したが司馬炎は不快に感じ、王済を左遷し、甄悳も大鴻臚に転任させ侍中・光禄大夫を付与させた。

その後、甄悳は病没し、中軍大将軍を追贈され恭公と諡された。
後を継いだ子の甄喜(しんき)も、父と同じく才能は無いが野心を持たなかったため、宗室に連なりながらも八王の乱に巻き込まれずに済んだという。(『甄皇后伝』)

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

P R