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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―後漢・陸康  陸氏の宗主

陸康(りくこう)字は季寧(きねい)
揚州呉郡呉の人(126~195)

後漢の臣。陸績(りくせき)の父。

若い頃から義人で知られ、呉郡太守に推挙されたのを皮切りに、各地の太守を歴任した。後に呉郡太守が処刑されると手厚く弔い恩に報いた。
霊帝の代に増税に反対したところ、その表現が不敬であると讒言され、危うく処刑されかけたが劉岱(りゅうたい)の弁護により免官で済んだ。
180年、揚州廬江で黄穰(こうじょう)が近隣の異民族らと結び10数万と号する大軍で挙兵すると、陸康は廬江太守として派遣され、速やかに鎮圧した。
献帝の代になりいよいよ乱世の様相を呈する中でも官吏を登用し、都へと推挙していた。

194年、徐州牧の陶謙(とうけん)の死に乗じて、寿春の袁術(えんじゅつ)は侵攻を企み陸康に兵糧の援助を求めた。
だが陸康は拒否したため、袁術は麾下の孫策に廬江を攻めさせた。父の孫堅がかつて陸康の従弟を助けた縁があり、孫策は面会を求めたが、陸康ではなく配下が対応したこともあったため、孫策は遺恨を抱き包囲戦を開始した。
陸康は族子の陸遜(当時13歳)にまだ7歳の末子の陸績ら一族を委ねて城外へ脱出させ、2年にわたり籠城したが力尽きて降伏し、その1月後に没した。享年70。
朝廷は彼の忠節を哀れみ、子の陸儁(りくしゅん)に郎中の位を与えた。
陸氏宗家の百余人は各地に離散し、その半数が餓死したという。

後に陸遜・陸績は孫権に仕え重臣となった。

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