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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―後漢・何顒  義に厚い英傑



何顒(かぎょう)字は伯求(はくきゅう)
荊州南陽郡襄郷の人(??~??)

後漢の臣。
若くして時の名士らに高く評価された。義に厚く、友人が父の仇を討てぬまま病没すると、代わりに仇を討ってやり、友の墓前に仇の首を供えたという逸話も伝わる。

だが後ろ盾になっていた名士らが宦官との政争に敗れ、いわゆる党錮の禁で命を落とすと、偽名を使い都から逃亡した。
義人として知られる何顒は各地の豪傑たちに歓迎され、特に袁紹と昵懇の仲になると、援助を受けて密かに都に戻り、宦官に陥れられた人々を救出して回った。
この頃に無名時代の曹操に会うやその才能を見抜き「漢王朝が滅びた後に天下を安んじるのは彼だ」と評価した。
また荀彧(じゅんいく)も「王佐の才」と高評価している。

一方で袁紹と張り合っていた袁術(えんじゅつ)は自分になびかない何顒を憎悪し、3つの罪を数え上げて非難した。陶丘洪(とうきゅうこう)に一つ一つ釈明されても収まらず、ついには何顒を殺そうとしたが、宗承(そうしょう)に「英傑(何顒)は殺すより厚遇すれば支持を得られる」と助言され、ようやく思いとどまった。

党錮の禁が解かれると都に呼び戻されて昇進を重ね、時の大将軍・何進(かしん)の腹心として荀彧の甥の荀攸(じゅんゆう)らとともに活躍した。
何進が宦官と共倒れになり、混乱に乗じて実権を握った董卓にも重用されたが、何顒は密かに荀彧の叔父の荀爽(じゅんそう)や荀攸らとともに董卓の暗殺計画を練った。
しかし荀爽は病没し、計画が露見して荀攸は捕らわれ、何顒もまた別件逮捕され一網打尽となり、義憤を抱いたまま獄死した。
「魏書 荀攸伝」には憔悴して自害したとも記される。

荀攸は董卓の死により助け出され、荀彧とともに曹操へ仕えた。荀彧は後に荀爽の遺体とともに何顒の遺体も引き取り、荀爽の墓のそばに葬ったという。

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