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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・陸胤  良き牧民者

陸胤(りくいん)字は敬宗(けいそう)
揚州呉郡呉の人(??~??)

呉の臣。
陸凱(りくがい)の弟。

御史・尚書選曹郎の時、名声を聞いた孫和(そんか)に手厚く礼遇された。
二宮の変が起こると楊竺(ようじく)らが孫和派に讒言を行い、陸胤も投獄された。酷い拷問を受けたが、陸胤は一言も他人に責任をかぶせることをしなかった。

次の異聞がある。
「呉録」に曰く、孫権は楊竺と二人きりで孫覇(そんは)の才能について論じあった。楊竺の絶賛を受け、孫権は太子に立てることを約束した。側近がベッドの下に隠れてこれを聞いており、太子の孫和に報告した。
孫和はたまたま訪れた陸胤に、このことを陸遜に伝えるよう頼んだ。
陸遜は太子を変えないよう上表し、孫権は楊竺が漏洩したと思い詰問した。楊竺は調査し、陸遜に伝えられたのは陸胤しかいないと報告したが、陸胤は孫和をかばい「楊竺に聞きました」と道連れにした。
楊竺は拷問に耐えきれず偽りの自白をし、もともと彼を疑っていた孫権は処刑させた。

その後、衡陽の督軍都尉に任じられた。
248年、異民族が反乱し交州全体が混乱に陥った。そこで陸胤を交州刺史・安南校尉に任じた。
陸胤は国家の恩恵と誠実さを説き聞かせて帰順を呼びかけ、大頭目の黄呉(こうご)ら3千余家を降伏させた。さらに南に進み、決して約束を破らないと呼びかけ財貨を施すと、これまで奥地に隠れて支配を受けなかった頭目ら百余人と5万家の民衆も帰順し、陸胤は安南将軍に上った。
さらに蒼梧や建陵の反乱軍も討伐し、これまでの降伏者から8千の兵を選抜し正式に軍へ編入させた。

258年、陸胤は西陵の督へ転任し都亭侯に封じられ、後に虎林の守備に当たった。
華覈(かかく)は「陸胤は天与の資質は聡明で万事に通じた才能を持ち、行いは清らかです。選曹としても刺史としても活躍し、人々や神々も感動し任地の異常気象も収まりました。任地を離れる際には多くの人々が彼を慕い移住しました。武力で脅すのではなく、恩徳と信義で人を集めた例は他にありません。交州を治め10年以上が経っても私腹を肥やすこともない得難い人物です。虎林の守備では役不足です。王室の股肱の臣に迎えるべきでしょう」と上奏した。

没すると子の陸式(りくしき)が後を継いだ。(『陸胤伝』)
孫皓はかねてから直言をはばからない陸凱を疎んじており、一族の有力者の陸抗(りくこう)も没すると275年、陸式らを建安へ強制移住させた。
278年、陸式は赦されて復職した。

陳寿は「陸胤は清らかに身を持して職務を立派に果たし、南方の地に名声を挙げた。良き牧民者である」と称賛した。(『陸凱伝』・『陸胤伝』)

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